紫微垣(しびえん)
第2期第15回、第16回

2012.7.22(日)、29(日)11:00〜

講義内容                      
「この世に隣接する六道輪廻の世界」
〜広がる宇宙観〜

 立腰 3分間
 素読
      

     
講義

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〜特別講義〜
                   
   

塾生からの感想




 
 




塾長の言葉(六道輪廻を講義するにあたって)


 たとえば、Yahooのカテゴリーにある知恵袋。

 こちらは、様々な悩みや疑問に対して、無償で複数の人たちがあなたの悩みに応えてくれる。


 その中には、あなたの気に入る答えもあるだろう。

 あなたが、気に入らない答えや、時には却って傷ついてしまうような答えがあるかも知れない。



  私は、興味を持った知恵袋の質問と回答をよく見ていて、想うことがある。

  彼の、彼女の幸せっていったいなんだろう?という事である。


  たとえば、知恵袋に放った質問に対して、アンサーを受け付ける期間が、確か一週間くらいだったと思う。

  その一週間の中で、複数の回答があった場合、質問者は、回答の受付終了となってから、どの回答が自分の心情にもっとも合い、為になったか、ということで、ベストアンサーなるものを、選択することが可能である。

  さて、このベストアンサー。なるほど、中には含蓄のある素晴らしい回答をされている方がいらっしゃる反面、質問者の気持ちをそのまま繰り返している方、特に「私もそうでした」という回答にベストアンサーが選択されている場合が、少なくない。



  自分の気持ちを理解してもらえることは、悩み解決のもっとも近道である。
それをふまえて、彼の、彼女の、何がいけなくて、どのようにすれば、これからの人生が良きものとなっていくかということをお話しするのが、悩み相談なのだが、それを求める方は、私の経験から言っても少ない。

  ただ、「そうだね、その通りだね。つらいね。苦しいね。その人おかしいね」って同調して欲しいだけの人が、あまりにも多かった。


  Yahooの知恵袋のベストアンサーは、質問者の主観的なベストアンサーであるが、その他の回答には、質問者の問題点をこそ、的確に示し、大人としての一般論を踏まえ、最良の回答を時間をかけて書かれたものも決して少なくないが、質問者には、それはどうでも良い事であるように取れて仕方がないのだ。

  それは、解答に対してさらに「補足」といった項目で、反論、または自己弁護出来るのだが、それを見ていてそう想う。



  とかく、悩んでいる人間とは、心の病んでいる状態である。
病んでいる人間の最大公約数として共通している部分が、みな自己中心であるということ。
「私が」「私が」…

人生の本義は、知らないことを知る修行の場であるはずなのに、自分の気に入らないことがあると、それを避けるどころか、それを「間違い」であると言ってきかない。



  ある知恵袋の質問に、かつておつきあいしている彼の親の態度に腹を立てて、同調を求めている女性がいた。「優しさ」とは、得てして難しいものである。
  人は、相手の心が見えないからこそ、よく見て、よく聴いて、人に寄り添いながら生きていくべきである。

 そして、わからないことがたくさんある世の中だから、せっかくのチャンスと思って、さらにその人を通じてもっと学ぶべきである。

  ところが、その女性、多分にもれず、自分のことは棚にあげ、彼の親を攻撃しまくっていた。

  彼とは、婚約までしていたが、我善しの感情そのままに、自分の気に入ったベストアンサーの方のアドバイスに従って、婚約を解消した。

  この女性の未来は、どうなるのだろう?
  私は、そのことにとても興味を持った。



  ふと質問の内容を見ると、最後にこの質問がなされた期日が書かれていた。
  2006年…すでに数年も前のことである。

  Yahooの知恵袋で質問者するための、質問者のハンドルネームのところをクリックすると、彼女の質問や解答の履歴がずらずらと出てくる。

  彼女の現在の様子が、彼女自身の質問によってわかるのである。

  案の定、彼女は幸せではなかった。あれからその後、別の男性とつきあっているうちに妊娠が発覚。その彼と結婚するが、半年くらいして旦那に不満を抱くようになる。一年も経たないうちに、もう離婚の相談が寄せられている。
(彼女は相談してなんになるんだろう…。どんな回答を、人が寄せたところで、離婚することになるのに…)そう、また半年もしないうちに離婚をし、彼女は子供を引き取って、働き始め、今度は仕事の悩みを知恵袋に書く…、とこういうことが繰り返されているのだ。



  私は、多くの悩みを聞いてきた占い師として、人の幸せはなんだろうと思う。

  親身になって、聞き、渾身のアドバイスを行った結果、彼女は涙を流し、心から反省して深々と頭を下げて「ありがとうございました」と言って帰っていく。

  そうしながらも、アドバイスしたことを行ったり、心を入れ替えて生活態度を変え、明るく過ごしている方は、ごく少数にすぎない。
  元々私がアドバイスする前から、ご自分でそのことを分かっていたような人であり、たった一度の占いで、欠点を凌駕して、本当に幸せをつかんだ人というのは、まずいらっしゃらない。

 占い師は、何度も言うように、お客様の鏡である。
 当たれば当たるほど、自分という人間がいかに努力不足で、同じ間違いをくり返している存在なのかということに気がつくくらいなものだ。
 決して自分の人生のつらいところだけを、占い師に肩代わりさせようとしても、それは無駄なことだ。それよりも、いかにして自分を克服して、強い人間になっていくかを学んでいくしか、人生をより良いものにしていく方法はない。



 先ほどの、知恵袋の彼女を見ても分かるように、とかく、自分勝手な人が多くなってきている。

  それは、「人」が分からず、「世界」が分からず、「親」への感謝を忘れ、「神」や「仏」の存在が分からなくなっている人たちが、増えて来ているからである。



  今週、私は「天国と地獄」について初めてお話しするが、「我良し」の傲慢な現代人に一石を投じたいと願う。「広がる宇宙観」とは、占いに頼らずとも、自分の存在を再確認するための、重要な講義である。



            
                                                                                           寺千代


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