紫微垣(しびえん)
第18回、第19回

2011.2.5(日)11:00〜
2011.2.11(土)19:00〜

講義内容                      
      縁について
                〜第1回のテーマ再び〜

 
 幻の第1回のテーマである。

 人数も増えてきて、リクエストが多かった議題を、再び講義させていただいた。

 思えば、占いを辞め、もっとも語りたかったことを、この第1回紫微垣でお話ししたから、それは紫微垣のエッセンスが濃厚にぎゅっと濃縮されている。

 今回いらした方の感動もひとしおだったことだろう。
 もちろん、毎回笑いに包まれながらの楽しい講義だ。

 私の講義は、講義であって講義ではない。
 どちらかといえば、ひとつの舞台を観ているエンターティナーのようなもんだ。観客は、暗闇の中で、役者の肉体を通じ、光の中に自分自身の姿を見る。

 心の目で見、心の声で聞いた、魂の学びは、生きている間はもちろんのこと、死してもなお、決して忘れることはないのである。

 紫微垣は、努力して頑張って来るところではない。
 派手な広告や、不安をあおる奇抜な言葉も必要ない。
 もともと縁ある者達が、紫微垣に自然と集うのである。

 そして、それがごまかしようのない、自身の魂の喜びなのである。
                                              寺千代
 

塾生からの感想


 今回参加したことで、僕もやっと分かった。

 この講義で、君は決定的なことを言ったね。

 「僕のところに来ている人たちは、どんなに偉い先生のところに行ったからといって、救われることはない。僕のところに来ている人は、僕でなければ救えないんだ」と。
 その通りだよ!これは、君の真髄だ。鏡というのも納得出来た。

 いいかい、これは言っておく。君がこれから先、たとえどんな仕事をしていくにしろ、この紫微垣を辞めてはいけないよ。
 紫微垣は、君の心であり、魂だ。君自身なんだ。これをなくしてはいけない。

 紫微垣に来ている人たちを見て、僕は思ったよ。
 みんな本当に素直でいい人たちじゃないか!
 こういった人が集まって来るということ自体、いい、すごくいい。

 君が紫微垣をやっていることで、なんだかんだ言う人がいるかも知れない。でも、そんなこと関係ない。気にしなくていい。

 たとえ、この紫微垣がこの先どんな形になったとしても、これは続けて欲しい。そうするべきだと、僕は思う。


                                父より


塾長の言葉

 私の中に、生きた言葉がある。
 生を、死を、何度も乗り越えてきた言葉がある。

 学するものは日に日に益し、道するものは日に日に損す。
 損して損して無為と為す。無為にして為さざるはなし。   老子

 僕の中で、もう、それは、言葉とは言えない。

 生きるための、必死の祈り。
 生きることが出来るための、僕の呪文みたいなもんだ。

 四書五経の教科書を開いて、文字を目で追ったって、それは言葉で終わる。

 言葉を何度も噛み砕いて、死の淵で唱えれば、それは本当の呪文となる。


 今回父からもらった言葉は、何もこの数ヶ月の成果なんかじゃない。
 出して出して、出し切って、からっぽになって、それでもらえた初めての褒美だったような気がする。数十年だ。

 ゆくぞ。まだまだ…。これから。のう。。ほな、がんばりまひょ。

                                         寺千代


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