私塾 紫微垣
塾生からの手紙4
塾生からの手紙4
〜 占いと神様 〜
紫微垣初の団体参拝 来年は、伊勢神宮において式年遷宮という催しが行われます。 これは、日本人すべての親神様であられます、天照大御神様の鎮座する伊勢神宮で、20年に一度行われているお祭りです。 紫微垣のメンバーで、どこかに行ってみたいというご意見が、夏前から出ていましたが、この時期に第1回の合宿ということになりました。 来年皆さんが行かれるよりは、ちょっと早めに、年内に行くことになりましたので、塾生の皆さんも、都合のつかない方のほうが多かったのですが、そんな皆さんからも、メールをいただきました。 今日は、そのうちのお一方からのメールを、こちらでご紹介させていただきます。 2012.11.24 寺千代 |
匿名希望さんからのメール 寺千代先生 こんばんは、○○です。 日ましに、寒さが加わってまいりました。皆さまにはお変わりなくお過ごしの事と存じます。 この度は、お伊勢さまへの旅のお誘い、ありがとうございました。 伊勢神宮へは中学の修学旅行で一度行きました。もうすぐ式年遷宮があると、準備の様子を少しだけ見ることが出来たと記憶しております。 ぜひ参加したい、と申し上げたいところですが、残念ですがこの度は不参加でお願い致します。 伊勢神宮にはもう一度行きたい場所であります。あの頃とはまた違う感じ方があると思います。 また、○○の家は神道なのですが、「どんな神様か」義母に尋ねたことがあって、昨年の大掃除の時に、神棚の箱の中を義母が見てくれて、天照大御神さんがおったで、と教えてくれました。いつも義母が近くの山で『しゃしゃき』を採ってきて、お供えをしています。 くわしくはまだわからないので少しずつ知りたいのですが… φ(..)。 皆さまのお伊勢さまの旅が安全に、有意義な時間となりますようお祈り致しております(-人-)。 ○○拝 塾長からの返信 ○○さん、ご返信ありがとうございます・ 20年に一度の式年遷宮は、この国の滞った運気をふたたび稼働させる、また、あるべき姿に戻す意味を持つ大切な行事。 また天照大神様は、日本人すべての魂のふるさとですね。 平日ということもあって、行ける方はごく限られてくると思いますが、私は私と縁ある塾生の皆さん全員の、より高い悟りと幸せが訪れますようお祈りして参ります。 幸せは人それぞれですが、本人さえも知らない、よりその人にふさわしい幸せの形があるはずです。 私は、それを神様にお祈りして来ますね・ 日々之好日。 新しい年に向かうこの季節、良い時をお過ごしくださいね。 寺千代 |
匿名希望さんからの返信 (夜分遅くなってしまいすみません。また長文になってしまいましたm(__)m) 式年遷宮の時に、立ち合える事が出来るのは、素晴らしいことだなと思います。 どうぞよろしくお願いいたします<(__)>。 いつも、ホームページの更新、ありがとうございます。 今、紫微垣の歴史の〜歓談より〜を拝読致しました。 感じたことを少しだけφ(..)。 最近は占いや神様を自分達の都合に合わせてしまっているのではないか…。 それでは本当の言葉や現象は見えてこないのではないか。 鹿の骨や亀で吉凶をみていた、神からのお告げを聴いていた時代。自分の都合 等はなかったはず。 …まずは、自分がみえる目を聴ける耳を、感じる心を磨き続ける必要があるのではないかなぁと。(まだまだ出来ておりませんが…) だからこそ言の葉には、多かれ少なかれ影響力があって。 一番身近な物が『名前』だと思います。 自分という存在が「名前」という言葉にとらわれていて、皆が名を呼べば自分は「はい」と返事をする。道端にあるモノも「石ころ」と名付けたらその時から、石ころになる。 私は、先生に種をいただいたと思っています。また、伺ったお話は、立ち戻れる場所であり、羅針盤のようなものでもあります。 それから、「寺坂吉右衛門」さんの話を見つけて拝読致しました。 数年前、最後の忠臣蔵 の話を聞いたことがあって、白虎隊のような方がいたのだなぁと思ったのですが、それが繋がったので久しぶりに、鳥肌がたちました。日本人の誇りだと思います。 お体大切にお過ごしください。 ○○さん |
塾長からの返信 「占いを自分の都合に合わせる」 なかなか深い言葉ですね…。 そうです。○○さんがおっしゃっているように、占いとは一般の人の未来を観る道具ではありませんでした。 古代の占い師とは、シャーマンでありながら為政者であった、そう時の権力者、日本で言えば天皇様ですが、そういった国を治める方たちが、天の意志を知るために使った道具が占いです。 個人の占いをするようになったのは、まだまだ歴史が浅く、そのために占いで何をお聞きになったらいいか分からないという方、多いのではないでしょうか? ○○さんの書かれた、占いと神様の見解は、私が師から習い自分でも正しいと思ったものと同じですね。 名前もおっしゃる通り、一枚の布をふきんと名付けるか雑巾と名付けるかで、そのものの運命が変わっていきます。 『お名前』の話も、種や羅針盤のお話しも、読んでいてブレがありませんから、こういう方でしたら、占いをお教えしてもいいのかな?と思いました。 否、こういう感性をお持ちでいらっしゃるならば、すでに人様を観る力の基礎が出来ていると私は思います。 神様や仏様は、その感性をさらに磐石なものに決してブレないようにするために、どうしても人間に必要なものなのですね。 寺千代 |
匿名希望さんからのメール 返信、ありがとうございます。 見解など、仰々しいものではなくて、小中学校で習ったり図書館で読んだり、旅で遺跡等を見たり、くらいのものですので…お恥ずかしいのですが、ずれてはいないのだ、とお教え頂きありがとうございます。 名前については、子どもの頃から気になっていて、実を申せば、たまたま夢枕獏氏の小説、陰陽師の中で、晴明と雅博が語り合う中に、何度も名前≠『呪:しゅ』として出てきて、はじめは?でしたが何度か読むうちにすとんっと落ちたものです。 ○○さん |
塾長からの返信 ○○さんは、元々、こういった世界がお好きなのですね。 決して特別な世界ではなく、元々日本人が持っている感性や、風習のことを神道と申します。別の呼び方で、神乍ら(かんながら)の道と申します。 寺千代 |
匿名希望さんからのメール こういう世界が大好きです。ただ、狭く浅くなので先生や皆さまと関わるなかで、少しずつ広く深くしていきたいです。 『神乍ら』φ(..)メモメモ・。 ○○さん |
塾長からの返信 確かにこういうせ界は、狭量になりやすいのも確かです。 自分の価値観だけで、良いものを集めていくと、それに近しいものは、いくらでも集まって参りますが、その分、間違いなく偏っていってしまい、人を傷つけてしまう可能性も否めません。 であるからこそ、人には人智では計れない言葉が必要なのですね。 それが宗教です。 人の宗の教えだから宗教。中でも神道は、私にとって切っても切り離せない、とても大切な教え。とても素晴らしいものなんですよ。 寺千代 |
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