私塾 紫微垣
塾生からの手紙

塾生からの手紙

〜 来るべき人生を生きる勇気 2 〜

「人生を生きる」ことの本当の意味

○○さんからの返信、2

  おはようございます(*^^*)


  ちょっと長いんですが、娘の病気をどんな風に受け止めたか、聞いていただきたくて、まとめてみました



  それは全く突然の発症でした


  脳内出血のために言葉を話せなくなった娘は、涙で私に身体の異変を訴え、緊急で飛び込んだ病院の診断は始めは脳腫瘍でした


  娘がもし死んだら、私も死のう…そう思い、旦那さんに言うと、「何言ってるんだ、ダメだよ!!」と言われて我に帰りました

  結局、検査で腫瘍ではなく出血で、それも言語にも運動にもほとんど影響のない場所だとわかりました


  手術の後、ゆっくりながらも言葉は徐々に話せるようになりました…

  でも、ここからが大変だったのです



  手術から4ヶ月後、てんかん発作が起きました

  はじめての発作は、大勢の人がごった返す中でした

  突然、娘が白眼を剥いて大きく倒れ、激しく痙攣しました
  顔面を床に叩きつけ、手術したばかりの頭部もどうなったか確認できない状態で…
  名前を呼んでも全く反応せず、そのうち、口から泡を吹き、唇が紫色になり「もう、死んでしまう!!」と思いました
  近くにいるはずの旦那さんを呼ぼうと思っても、手が震えて携帯電話のボタンが押せません

  必死で「救急車を呼んで下さい!」と集まった野次馬達に叫びました



 
病院で意識を取り戻すと、あとは普通の人です

  医師からは、次からは発作が起きても救急車を呼ばないように言われました

  これは不親切でもなんでもなく、てんかんは発作が起きても様子をみる以外に対処のしようがないので、仕方のないことなんです

 

  その時の私は…

  自分の娘が障害者になってしまった…

  この思いがその後の自分を散々苦しめます



  その後はいったい、いつ起こすかわからない発作にひたすら怯えました


 
場所や打ち所が悪ければ、死んでしまうかもしれません

  眠っていても発作は起こるので、夜も心配で眠れません

  路上で倒れたら…と思うと外にも怖くて出れなくなりました

  たまに散歩…と言って二人で近所のコンビニへ行ったりしましたが、すぐ横についていても、怖くて早く家に帰りたい、と思っていました

  毎日、毎日心配一色です


  本人にわからないように、視界の端にいつも娘をとらえていて、今思うと死んでも良いくらい辛い日々でした

  気をつけていても発作は起こります

  結局、この頃家の中でしたが2回発作を起こしています


  一時も気持ちが安らぐ瞬間はなく、旦那さんとは、「他の子供は長いけど、うちの娘は20年しか神様が貸してくれなかった…と思おう」と、覚悟もしていました


 
はじめて寺千代さんのところに伺ったころ

  私の頭の中は「もう発作は起きて欲しくない」しかありませんでした

  でも、占いで何を言われようとそんな保証はありません



  翌年、2度目に入学した看護学校も疲れから発作を起こし退学

  そして、とうとう…大好きで興奮状態にあるため、このときだけは起こさないと思っていたサッカーの試合中に発作が起きました

  ショックでした…


  もう文字通りいつ起こすかわかりません

  この先どうしていいかわからず…その夜は全く眠れませんでした…

見かねたOさんに救霊を薦められ、そして翌年、救霊の後、人生は自分の思った通りの出来事を引き寄せていることにふと気がつきました


 
  とりあえず、娘の事を考えるのをやめました

  無理矢理違うことを考えるようにすると(本当に無理矢理です、ぐいっと不自然な姿勢で身体を捻るような^_^;)、不思議なことに、今まで心配で何も入らない状態だった頭のなかにいろんな考えが浮かんでくるようになりました


  そして気がつきました


  あんなに心配して、最悪の事態を想定していても、結局は一番安全なかたちで発作が起きているということに


  はじめての発作以外は、柔らかいソファーや布団の上、屈強な友達の腕のなか…など


  もうひとつは、家の外で発作を起こすと、必ず頼りになる優しい他人が側にいて、手を貸してくれている…ということ




  心配は常に最悪の事態を想定しますが、現実にはプラスの要素がたくさん加わっている…

  ちっぽけな自分の想像力で作り出した未来を心配して何も見えなくなってしまっていたけれど、起きたことを悲劇的なものと決めつけていたのは他でもない、自分自身だった

  ここまで気がついた時、…もしまた発作起きても、大丈夫、受けとめられる…と思えました


 
2年ぶりに訪れた穏やかな気持ちでした…


  突然ポジティブになれたわけではなく、行ったり来たりですが、でも少しづつ元気になっていきました


  そしてふと気がつくと、あんなに自分を苦しめた、自分の娘を障害者…という差別の目で見ていた気持ちが無くなり、「世の中すべての人が違っていて当たり前で、比べることは何ひとつなく、すべての人が世の中に必要で、愛されるべき存在なんだ」と、思えるようになりました



  娘は勉強も仕事も続ける体力が無く、納税も社会貢献もできません

  でも、人生ってもっと自由に選んで良いんだと思います


  親や社会に思い込まされた、きちんと勉強して仕事に励むとか貯金をたくさんするとかが幸せなんだと思っていると、そうでない状況にならないためにひたすら頑張らねばなりません


  でも、本当に自分が幸せだと思えることは何なのか?…



  ここで、やっと自分の望みがわかってきました

  こんな出来事があっても、元気に乗り越えられらる自分になりたい…です

  お金持ちや、健康になりたいではなく、「自分がなりたいと思った自分になりたい」です(*^^*)



  娘が命をかけて私にさせてくれた大切な経験でした


 
少しも無駄にすることがないように、これからもっともっと自分を広げていきたいと思っています



  本当に長い文章になってしまいました

  こんな経験がもし誰かの何かのお役にたてることができたら嬉しいです


  ひとりでも多くの人が思い込みから解放されて、本当の幸せに出会えると嬉しいです


  こんな風に自分の思いをきちんと言葉にしたのははじめてで、自分の中でもまた整理ができました



  読んでいただいて、ありがとうございましたm(__)m


                                 塾生の女性の方より

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