紫微垣(しびえん)
第4期第1回

2013.10月

講義内容                      
「家とは、家族とは」
〜あなたと家のつながり〜

 十月のお祭り:「収穫祭」、開運祈願
 素読 大学「修身斉家治国平天下」/秋の七草
      

     
講義 〜coming soon〜

〜歓談〜              
   

塾生より

coming soon
                        


塾長の言葉

 明後日。いよいよ、新居での紫微垣。待ちに待った再開です。

 前回はこちらの都合上、どうしてもおいでいただくことが出来ずにいて、今回あらためて満を持してのスタートとなります。

 毎回、テーマを決める時、私の心中に「このことを話さなければならない」というものが、自然と浮かんでくるのですが、今回は私自身の体験したこと、そして塾生の皆さんがいま、もっとも求めているテーマ「家とは。家族とは」ということになるのだと思います。



 ところで皆さん、話は変わりますが、「愛国心」という言葉は、好きですか?嫌いですか?
 これは本来、私たちがふだん過ごしている国、生まれた国、そして、この言語を話している言葉をふだん使っている国に対しての想いを込めた言葉ですが、あらためて自分たちの国のことを思い浮かべると、「愛」の言葉にそぐうのかどうか?はっきりしない方もいらっしゃるのではないでしょうか?



 私は、「愛国心」ならぬ、「愛家心」という言葉があってもいいと思います。

 本当は、どちらも同じような言葉なのですが、個人主義ばかりがまかり通る世の中、人と人との関係が、希薄になっているのも、これは至極当然なことであり、仕方ないことだなと思います。



 「社会」という言葉の重みばかりが、尊重されるなか、それ以前に「家族」の重みがさほど取りだたされないのはなぜでしょうか?

 また、「国」とは「社会」や「世界」よりも格下の存在でしょうか?

 否、「社会」に問題があるのであれば、「国」の存在をもう一度皆で考えるべき。

 それも、人任せの「国会」だとか「議員」だとかいうのではなく、「私」「国」との関係を、もう一度皆で考えるべきだと、私は思うのです。



 というのは、「社会」のことではありません。

 血を分けた、もしくは縁でつながった、『もっとも愛すべきものたち』が一丸となって、この国の未来のことを考えていく。
 人の痛みを、自分たちの痛みと同じように、家族みんなで考えていく。

 そんな「家族」の集合体こそが、本当の「社会」になった時、私は本当に素晴らしいこの国の未来が来るような気がしてならないのです。
 


                                                                                           寺千代
                                            2013.10.25


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