私塾 紫微垣(しびえん)

私塾とは


            
 
寺子屋という名は、聞いたことがあるかと思う。

 私塾とは、寺子屋に同じく江戸時代末期にあった民間の教育機関である。

 吉田松陰が活躍した、松下村塾は日本でもっとも有名な私塾のひとつである。


 それまで、庶民が学問を学ぶ公的な機関というものは、極めて少なかった。
 
 記録として残っているものの中で、確実なものは、江戸時代、将軍綱吉が創らせた幕府の直轄の教育機関として、昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)がある。

ここで教えられたものは、主に朱子学。教育を受けられる者は、武士に限られた。


 
 幕末になって、幕府が財政難に陥った頃、幕府に成り代わって諸藩の諸藩による諸藩士のための教育機関が、藩校である。


 武士の子は、7〜8歳になると管轄の藩校に皆通うことが義務付けられていた。

 卒業の年齢は、まちまちであったが、17歳より20歳くらいまで、文武両道を行って、精神的にも肉体的にも、武士としてふさわしいたくましい青年となることを求められていた。



 寺子屋は、庶民の子供達のための教育機関である。武道よりも主に、読み書き算盤などをここで学んだ。こちらは、民間の経営である。


 私塾は、大人のための教育機関である。こちらも、民間の者が経営しており、しかも身分にとらわれることなく、誰もが入塾することが出来た。中には、紹介制となっているところもあったようである。


 
 先ほどの朱子学とは、中国から来た学問で、儒教の類である。

 人を愛する「仁」の心や、人として正しい生き方「義理」「正義」

 目上の者に対する「忠」の姿勢や、親に対する「孝」など聞いたことがあるかと思う。



 の学問と、の学問はどこが違うかと言えば、

 現在は、いかに的確に、多くのことを効率よく知るか?
 経済主義、個人主義であるのに比べ、

 は、いかに己を磨き、人様の役に立てるか?
 徳行主義全体主義であった。



 現代人の悩みは、「自分で自分のことを解決できない」ことからすべてを発し、
  
 人任せで、常に自分中心で考え続けてきたことの、積み重なったものである。



 『自分で自分を救う』

 学問とは、そのための参考書であり、生活に役立たない学問は、真の学問ではない。


 紫微垣は、そんな人たちのために、人々の悩みにたった一人で立ち向かってきた百戦錬磨の塾長が、開いた私塾である。
   


時に遇ふも遇はぬも、皆天に任せて顧みず。
  我に在りては道を明らかにし義を正しうし、
      言ふべきを言ひ為すべきを為すのみ

                           吉田松陰


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