私塾 紫微垣(しびえん)

 直指人心(じきしにんしん)

 たくさんの人が笑顔に変わっていく瞬間に、
私は何度も立ち会って来た。

 それでも、どうしても腑に落ちないところがあることは、否めなかったことは確かである。

 羅針盤は実際、便利な道具である。
 しかも私の持っている、目には見えない気学という羅針盤は、方角はおろか、その時期も時間も、彼の特質までもが見えるという優れものでもある。

 ただしそれはあくまでも、延々に広がる時間の海の上を漂っているだけのことである。

 時化た海域を避け、時には魚の群れを見つけ、心細い海の中で気を許す仲間と出会えるかも知れない。一時の安堵感と喜びを得られるかも知れない。しかし、それは、人生という航路の最終的な目的ではないはずである。

 羅針盤は便利な道具であり、先の見えぬ人生、大いに使うべきものではあるのだが、個々に最も必要な人生の最終目的地を指し示す指針には、到底、成り得ないのである。最終目的地とは、何か?これは、あなたがあなた自身になること。あなたという可能性をここに生きている人生の時間を使って完成させることが、すなわち目的であるということが出来る。


 直指人心(じきしにんしん)という有名な禅の言葉がある。

 これは、仏教の長い歴史の中で培われた悟りの手段とされる、経文や座禅は、あくまでも悟りの媒介でしかありえないという深遠な教えである。

 そもそそもの悟りの本体となる心はどこにあるのかと言えば、それは人の心の中にあるのだということを、教えている言葉である。

 たとえば、月はどこにあるのかと言えば、月は天にあるのであって、月を指した指は月そのものではない。「すべては人の心の中にある」「大切なものは心である」という教えが禅の教えであり、これは道教や神道の思想にも通じるものがある。