寺千代の世界


3.スター・ウォーズ9.11。
そして…3.11
〜今、玄学師として出来ること〜



 ジョージ・ルーカスといえば、映画「スター・ウォーズ」や「インディ・ジョーンズ」をこの世に知らしめた、輝ける80年代のアメリカのヒーローであり、映画監督です。



 「天才は天才を知る」と言うが、私の心の教祖であり、日本を代表する映画監督の大林宣彦監督が、その著書『「僕の映画人生」実業之日本社刊』の中で、同業者のジョージ・ルーカスのことをこのように書いています。



 「現代における映画作りを語るにあたって、最大のキーワードは、ジョージ・ルーカスの引退です。彼が引退したのは、2001年に起きたアメリカ同時多発テロが起きたことによる反省からです。


 スター・ウォーズは題名そのものが「星の戦争」で、その後、大量の破壊や殺戮を娯楽にした映画の礎(いしずえ)となってしまった。本当ならば映画人としては、『スター・ピース』を作るべきでした。
 ところが、それでは客は集まりません。

 現代では、CGの発達で、映画の中で何万人も死ぬような映像も簡単に映せる様になりました。今の若者が、そういったものを身近に観て、テロをやろうと思えば、ああいう映像が浮かぶはずですす。


 あの9.11は本来映画の世界の中だけに許されるものであったもののはずが、現実のほうが映画を越えてしまった。それでルーカスは、長編映画を撮ることをやめて、ミニカメラで自宅の周辺で一生懸命に生きている草花や虫などを一生懸命撮って過ごすことにしたんです」




 このお話の出典については、特に触れられていません。十年も前に、監督の違う本の中にもこのエピソードが描かれていましたが、大林監督ご自身が、すべて私が考えた想像上のストーリーですとおっしゃっていらっしゃいます。ただ、このような考え方は、何も映画の世界だけに限ったことではありません。

 同じ本の中に、現代のアメリカ(注、2008年当時)が『イマジン』を歌えない現実があるということも、紹介されています。



 現代において、若者がみんなイマジンを歌って、アメリカの中から戦争を辞めようと言ったら、現実のアメリカという国家が滅びるかも知れない。若者は愛国心に燃えて、銃を持って戦争に参加してくれなきゃ困ります。だから、アメリカではイマジンが歌えない。平和になったら、経済力や力を失ってしまうのです、と。


------------------------------------------------------------


 数えてみればそれからちょうど十年経って、私たちは自分たちの国日本で、古今未曾有の天災を体験しなければならないことになりました。


 2011.3.11私達はこの日のことを、決して忘れはしないでしょう。
 2001.9.11に起きたことをアメリカの人が決して忘れないように。



 私は、あの日、それまでも何度かご家族でいらしていただいている初老の女性のお客様を鑑定していました。ちょうどお客様が帰られて、15分ほど経った頃に、あの大きな揺れを感じたのです。

 ここ横須賀は、同じ関東圏内においても、比較的被害を受けなかった地域のひとつですが、それまで人々が体験したことのない、マスメディアの報道、計画停電、また政府や東電の対応や釈明など、何を信じ、自分は何をしたら良いのか、それぞれが不安と心細さの中に身を縮めながら、必死で生きていた感がありました。




 あの頃、ある40代の女性のお客様が、鑑定にいらしてこのようなことを話し始めました。

「あの…このようなことを先生にお話ししても良いかどうか迷ったんですけど。
 今、ご存じのように東北の地では、あってはならない大きな天災が起きてしまいました。

 毎日、TVでは私たちと同じ日本の人たちがつらく悲しい目にあっていることを報道しています。でも、こうして自分自身が生きていることをみると、まったく変わらない、今までとほとんど変わらない生活を毎日続けています。

 出来ることなら、私も今すぐにでも皆さんが困っているあの地へ行って、何かお役に立ちたい!けれども、果たして私が行ったところで本当にお役に立てるんでしょうか?
 
震災が起きてからすぐに、心ばかりですが募金はさせていただきました。でも、果たしてこんなに幸せでいてしまっていいんでしょうか?」


私は、自分のことを差しのいて人の為に何かに役に立ちたいという彼女に対して、このように言いました。


「今日、こうしてお客さんが私の所に来られて、こうしてお話しくださったことは、人としてとても尊いことのように思って頭が下がります。私のような者が、お客さんのご質問に対して、こうしてくださいなんて言える立場ではありませんから、今日の鑑定時間の中で、私達はどのようにすれば人様のお役に立てるのか、考えてみましょう」
 そうやって、一時間、お客様と二人いろんな話をしたんです。


 その結果、お客様とこんな結論に至りました。

 私達は確かに今幸せかも知れない。そして、「一日でも早く被災地が復興して、傷ついた人たちが癒えるようになって欲しい」という想いをこそ大切にしよう。かもすると、「申し訳ない」と思う気持ちで充分に苦しみながら、それでもあえて笑顔を忘れないように心がけよう。そして、こんな私でも、何か出来ることがあったらいつでも飛び出して行けるように、せめて元気でいよう。そんなお話になりました。





 私のことに話しを移します。私がなぜ、冒頭で映画の話をしたのかというと、私自身、占い師ではなく映画監督になりたかった人間だからなんです。

 しかも、映画を通じて、人間が本当に大切なこと、あるべき姿、そして思い描くべき正しい未来を伝えたいがために、好きな風景と、好きな音楽と、好きな人たちをぜんぶ使って、映画を作るのが夢でした。



 あることがきっかけで、僕は映画の道を閉ざされ、占い師の道を歩むことになったわけですが、他の占いの先生と私はどこか違っていて、まるでお客様と過ごす一時間の鑑定の最中は、さもひとつひとつの映画のように、その方を主人公とした物語を紡ぐべく、走り抜けて来たように思えるのです。

 その証拠に、鑑定が終わって帰られるお客様のお顔を見ると、まるで良い映画を観終わった後に、映画館から出て来たばかりのとても良い顔にそっくりなお客さんの顔が、いつもそこにあったんですね。





 大林宣彦監督は、ご自身の映画作品についてこんな事を言ってらしていました。

「花も実もある絵空事」。

 映画とは、現実の世界に関係があるかと言えば、決してそんなことはない。私たちが生きている、「今」の世界が「現実」なのだとすれば、映画は「虚構」に過ぎないのだと。


 でも、そんな虚構の世界からだって、実際に花も咲けば実もなることだってある。
 監督のエピソードの中で、もっとも良い例が、ロケ地巡りによって結ばれた一組のカップルのことでしょう。




 大林監督は、『転校生』という映画で、自分の生まれた故郷尾道を舞台にした作品を作り上げた。

 尾道の二作目は、私がリアルタイムで観た原田知世さん主演の「時をかける少女」です。

 そして、「さびしんぼう」という富田靖子さん主演の映画を含めて、これらは尾道三部作と呼ばれるようになりました。

 監督がおっしゃるには、「転校生」を撮った時、女の子がおっぱいを出してしまうようなハレンチな映画ということで、クランクインの前にスポンサーが降りてしまった。でも、この映画に関わるスタッフや俳優さんたちの人生を考えた時に、決してこの映画をつぶすわけにはいかないのだと決意した時、奇蹟が起こった…。


 そうやって撮り終えた「転校生」は、大人たちの心配をよそに、子供たちのほうから「あれは良い映画だよ」ということで、とてもヒットした作品になった。そうしているうちに、ロケ地めぐりに来る若者がポツリポツリとやって来るようになる。まるで他の映画とは違って、山の上の小路や階段や、そんな変哲もない対象の中に、皆さんそれぞれの想いを秘めて、自分探しにやって来る。

 ある時、転校生を観てやってきてロケ地めぐりをしていた男女が知り合って、二人は結ばれる。
 二作目の時をかける少女が公開されると、二人は新婚旅行にこの尾道にやって来る。
 さびしんぼうの公開が終わると、今度は子供を連れてふたたびこの尾道を訪れる…。

 この子は、監督の映画によって生まれた子だから、監督は東京のおじいちゃんと呼ばれて、親しく親交があるのだが、「もしあの時、転校生を僕が撮っていなかったら、この子も生まれていなかったのだと思うと、なんだか恐ろしい気持ちになります」とおっしゃっいます。





 そうやってただ映画を撮るのではなく、常に映画を通じて関わる人々たちの幸せを願いながら、それをすることに与える影響のことを想いながら、作品を作り続けた監督の作品だからこそ、僕はきっとこんなに夢中になったのでしょう。




 僕がこうして書いている言葉も、あの頃は監督の本に書かれた韻律にとても良く似ていました。
 よく好きな人に憧れるというけれど、ただ真似をしたいわけではなくって、僕の場合本当に好きになるとその人と同化してしまいたい、その人のことをすべて知ってその人自身になりたいという想いがあるんですね。二十代の前半のいちばん感性が研ぎ澄まされたいた頃は、この傾向が最も顕著でした。これが、やがて神仏への想い、そして占いのお客様の心と同化するという風に進化していくわけです。




 3.11に戻ります。
「被災された方に比べてこんなに幸せな私は、果たして今何をしたらよろしいんでしょうか?」
と言う菩薩様のような40代の女性もいるかと思えば、決してそうではない我中心の礼節を欠く存在が、あの頃は浮き彫りになった時期でもありました。




 「政府が悪い」「東電が悪い」「世の中の世相が悪い」そう言っている人たちの自分がどれだけ出来ている人間なのか?占いにいらっしゃる皆さんは、良くないことつらいことがあると、その現実からなんとか逃れようとします。「私がこんなに不幸なのは、うちの旦那のせい」「職場の上司」「姑のせい」「子供が…」「家相が…」そこには、まるで自分自身の反省というものが見受けられません。日本人が元々持っていた謙虚さが、まったくもって欠かれてしまっているんです。

 それが顕著に出たのが、震災後二か月間でした。

 散々暗い声で訪ねておいて、鑑定日前日に明るい声でキャンセルする。ドタキャンする。来ない。わがまま放題でいい大人が泣き叫ぶ。



 私は、19歳の頃より「人を幸せにしたい」という想いが高じて、占い師になりました。
 でも人を救う、人を助けるということが、一体なんなのか?わからなくなりました。

 人様が喜ぶことが、助けだとばかり思っていたのですが、冒頭に書いたように、みんなが喜ぶような「スター・ウォーズ」を作り続ければ良いかというと、決してそうではない。そこから、人を殺戮し、テロを起こしてしまうという可能性を、発信する側は、常に頭に入れて置かなければならない。


 占いで言えば、その方の負担にならないように、旦那のせいにして、職場のせいにして、世の中のせいにして、良いようにグチを聞いてあげて、あなたは悪くないよ、決して悪くないよってやっていれば確かにお客さんは来ます。

 でもね、果たしてそれで世の中が良くなるか?私が当初願っていた人を幸せにしたいという想いを、叶えていることになるのかと思うと、それは全く違うものであってね、ただただ自分では何も考えられない、依存心の強い、さらに自分は決して悪くないという傲慢な人間を、大量生産してしまっているんじゃないかって。そう思えるわけですよ。





 当たるも八卦、当たらぬも八卦と言いながら、皆さん結構心の奥では、見えない世界に対する畏れというものを持っていらっしゃいます。日本人ですものね。八百万の神様とともに、幾多の戦いや自然災害をも乗り越えて来たこの国に住む人間の子孫ですもの。畏れないわけがありません。みなさん神様を信じていらっしゃるのでしょう?私達のまわりには、より身近に神様がいらっしゃる環境に私達の祖先は暮らしていましたから、そう想う気持ちのほうが自然なのです。

 ところが、占いは、現実の世界になんの役に立つのか?


「果たして、それで本当に当たるんだな?占いで出た番号を買えば宝くじが当たるのか?」


 そんな風に思ってしまったら、それこそ占いなんて映画とおんなじ「虚構」の世界です。
 私はその質問にはNOと応えますし、な〜だってことになって当然です。そんなことの答えを占いに求めないでいただきたいと思います。





 占いとは、深遠な哲学だと思えば、それは捉え方がまったく違ってきます。



 たとえば、易という占いの解説は、中国の古典「易経」にすべて書かれていますが、これは決して占いだけのためにある本ではありません。


 いわば、人の心には四季があって、朝や昼や夜があって、良い時もあれば悪い時もあって、あなたがこう想っている時には、このようなあなたの心の状況が差配しているから、こういったことに気を付けて、こういう考え方で今のあなたの状況を乗り越えて行かなければなりません、とこのように書かれているわけです。

 私達の先人は、このような書物を読みながら、たえず自分自身を律して、現代よりももっと辛い、戦いや飢饉や、人々の恨みや嫉妬などのもろもろを乗り越えていったのです。



 僕はこのような占いの底辺にある、こういった思想や考え方が大好きでね、そもそも占い師がなぜ体験したこともない他人の悩みに答えられるか考えてみていただきたいのですが、それが理解出来たら、盲目的に占いに頼るなんて必要もなくなるはずなんです。私自身、占いを通じて本当に皆さんに伝えたかったことは、この世に生まれて人間として誇りの持てる意義のある生き方なのですから。




 3.11によって、私たちは、耳に優しいだけの言葉や理想というものが、どれほど頼りにならず、力のないものかを思い知りました。
 
 果たして私たちは、何を信じ、そして私のところにいらした40代のお客様が質問されていったように「いま、私達には何が必要で、何が出来るのでしょうか?」。

 大林監督が本の初めのほうに、こんなことを書かれています。




「21世紀に入った頃から、それまで海に向かって映画を撮っていた僕が、急に山のほうにカメラを向けるようになってしまいました。
 
 死ぬときは海に船を浮かべて素っ裸で魚釣って食いながら死ねればいいと思っていた僕がである。これをなぜなんだい?と妻に問いかけてみたところ、実に上手い解答を僕にくれました。
 つまり、海と言うのは海辺でみんながおなじほうを見ても、両手を広げてみんな思い思いに自分の遠くを見ている。日本人は開国以来、みんな海彦になって、海外の文明や経済の力をどんどん輸入して日本を活性化させたから、きっとあなたもそれが誇りだったのでしょう。
 でも、山はみんながバラバラに暮らしていても、誰もが同じ一つの山を見つめていて、手を合わせる。そこには古来日本人が大切にしてきた『約束』があるからに違いない。開国以来、日本人はそのことを忘れてみんな海彦になってそれでどこかおかしな日本になってしまったけれど、あなたの中にある日本人としてのDNAが、今まで眠っていた山彦を目覚めさせてそれで山を取りたくなったんじゃないかしら?
 僕はその言葉を聞いて非常に深く納得したんです」




 僕が占いの個人鑑定を辞めて、もうすぐ一年になろうとしています。

 この一年は、本当に試行錯誤で、私自身生きている感覚すら希薄な時期も過ごしてきましたけれど、求められるから行うことが果たして良いのか?私たちがかつて幸せだったのは、50年前の日本人が、私たちの幸せを願って、そのように残しておいてくれたからこそ、こうしていられるんじゃないだろうか?そう思ったら、ただ活動する、ただお金を稼ぐ、人の本当の幸せなど無視して、甘く優しい言葉だけで満足させて帰ってもらうことが、本当に嫌になりました。
 人生は、人のせいじゃない、すべて自分の身から出たさびなんだと言っても人は去っていくばかりです。占いは、あなた自身を映す鏡、あなたが文句を言っている旦那さんは、もう一人のあなたなんだと言っても、その部分だけは信じようとしません。みんな何かに罪をなすりつけたくて、占いにやってくる。それで紫微垣を創ったんです。運命というものの本当の正体を。そして、自分というものをしっかりと見つめて、覚悟して生きていく同志たちを求めるために。




 今回読んだ監督の著書は、日付をみると2008年の刊でした。あれから3.11のことがあり、監督ご自身がどのような想いで過ごされ、何を感じ、何を今年公開された映画で僕たちに新たな希望というものを教えてくれるか分かりませんが、つくづく、先輩というものはありがたいものだなぁと。そして、僕の進んできたこの一年というのは、やはり決して間違ってはいなかったのだなぁと、今そのように思ったわけです。

 私は、今また新たなるひとつの覚悟をもって人生を歩もうと決意しています。







      ⇒目次へ