寺千代の世界


1.みにくいあひるの子


 「みにくいあひるの子」は、1843年、アンデルセンが発表した童話です。

                      

 作家の代表作というものは、彼の人生そのものを表しています。

 本当の素晴らしい作品を書ける人は、本当の素晴らしい人生を送った人だけです。その作品に心から感動し、その作品に触れる度に、やさしく思いやりのある人間になることが出来たら、こんなに幸せなことはありません。

                      

みにくいあひるの子

 あるところに家鴨(あひる)のお母さんがいました。

 家鴨のお母さんは、卵からヒナがかえるのを、今か今かと待っていました。

 やがて、その卵から念願のヒナが生まれました。どの子も、お母さんに良く似てみんなかわいい子たちばかりでした。

 5つの卵のうち、あと一つだけまだ生まれていない卵がありました。
                      
                       

 その卵は、他のものと比べていちばん大きかったので、その様子を見ていた年取ったおばあさんの家鴨は、
『そいつは家鴨じゃない。きっと七面鳥かなんかだから、放っておいて捨てておしまい。私もいつだったか頼まれて、そんなのをかえしたことがあったけれど、水を怖がってちっとも泳げやしなかった』と言いました。

 お母さん家鴨は、
『そんなことありません。これは私の子です。卵だって他の子のよりちょっと大きいから、かえるのに時間がかかっているんですわ』
そう言って、その老家鴨の言葉を気にせず、他の子家鴨と同じように卵をあたためてやりました。

                      

 やがて、その家鴨の卵からもヒナがかえりました。

 それは、他の子供たちと比べてやけに大きくて、おまけにお世辞にも良いという顔形ではありませんでした。
 母親も、はじめはもしかしたら七面鳥ではないかと疑いました。
 でも他のあひるの子たちと同じように、水の上を泳ぐ姿を見て、あぁこの子はやっぱり私の子なんだわと思いました。

 少し経ってから、他のあひるの家族と出会いました。
 他のあひるの家族の子供たちは、みにくいあひるの子を見て、彼をからかい、くちばしでつっつき、足で蹴飛ばしました。他のあひるの家族の親でさえも、他のあひるの子たちと比べて、「どうしてこの子はこうなんだろう。みっともない。どうにかならないものだろうか」と言いました。

 みにくいあひるの子の母親は、この子は生まれてくるのが少し遅かったから、少しみためが良くないかも知れないけれど、他の子供たちと同じように、いえ、他の子供たち以上に、上手く泳ぐことが出来るんですよ」と言って、かわいそうな我が子のことをかばいました。

                       

 しかし、他のあひるの家族の子供たちの執拗な仕打ちは、日増しにひどくなっていきました。やがて、みにくいあひるの子の兄弟たちさえもが、「本当にみっともないやつ」「お前なんか猫にでもつかまってしまえ」と彼に向かって言うようになりました。
 そして彼の母親もが、『こんなことならいっそ生まれて来ない方が良かった』と言い始めました。

                        

 みにくいあひるの子は、自分のいたすみかを飛び出しました。哀しみでいっぱいになりながら、たくさんの野鴨たちのいるそばで二晩を過ごしました。
 
みにくいあひるの子に興味を持った二羽の雁(がん)が、彼に近づいてきました。
『どうだい僕たちと一緒に渡り鳥にならないかい』

 そんな話をしている間に、二羽の雁は、鉄砲で撃たれて死んでしまいます。

 人間たちは、なおも狩りを続けて、みにくいあひるの子の頭上を鉄砲の弾が飛んでいきます。その恐ろしいことといったらどうでしょう。
 もう必死になって逃げているうちに、あたりは嵐になってしまいました。
 
                        

 雨風の勢いは、どんどん酷くなっていきます。

 あひるの子は、門の戸がバタバタしている所から、一軒の小さな家にそっと忍び込み、そこで夜を過ごしました。

 この家には、一人のおばあさんと、おばあさんが飼っている一匹の猫と一羽のめんどりがいました。
 あひるの子は、おばあさんに見つかってしまいますが、おばあさんは、あひるの子をメスのあひると思い込み、ここでしばらく飼われることになります。
 おばあさんの目的は、あひるの卵でした。

 (原作では、あひるの子がオスであるかメスであるかは書かれていませんが、どちらにせよあひるの子に卵を産めるわけがありません)

 おばあさんの飼っている猫とめんどりは、それぞれおばあさんから溺愛され、甘やかされて育ちましたから、何も怖いものはなく、自分たちが世界のすべてで、外の世界があることすら信じようとはしませんでした。

                         

 しばらくたって、あひるの子が、水の上で泳ぎたくなったことをこの二匹に相談すると、

「水の上を泳ぎたいだなんてなんて馬鹿なことを言うんだろう。そんなことを考えるひまがあったら、私の言うことをよくお聞き」

と言って、あひるの子の見て来た世界などてんで信じようとしませんでした。彼らに興味があることは、のどを鳴らしたり、どれだけ早く卵が産めるかなど、自分たちの身のまわりのことばかりでした。

 みにくいあひるの子は、二週間いたこの小さな家を出ることにしました。

                         

 みにくいあひるの子は、自由に泳いだり潜ったり出来る水の上にいましたが、気持ちは浮かないままでした。
 相変わらず、そのみにくい容姿から、他の鳥たちに邪魔され、はねつけられておりました。

                         

 季節は、もうすぐ冬を迎えようとしていました。

 そんな日の夕方、みにくいあひるの子は、不思議な光景を目にしました。

 水草の中から、いっせいに、たくさんの、それはそれは美しい真っ白な鳥たちが飛び立っていったのです。雲が太陽に照らされて、世界は金色に輝いておりました。彼らは、そのりっぱな羽根を広げて堂々と大きく、羽ばたいていきました。

 「白鳥」と呼ばれるその鳥は、寒い冬になると、暖かな南の国へと海を渡って飛んでいくのです。

 そんな姿を見ているうちに、みにくいあひるの子は、なんだか不思議な気持ちでいっぱいになりました。
 みにくいあひるの子は、先ほど見た鳥が、「白鳥」と言う名前であることも、また彼らが寒い冬の季節、南のお国へ飛び立って行ったことも知りません。

 でも、その夜はなぜだか興奮して、その美しい姿をどうしても忘れることが出来ませんでした。

                         

 季節は、寒い冬となりました。

 池の水もようようと凍り始め、少し前に泳いでいたところが、もう凍ってくるような、厳しい寒さが続きました。

 あひるの子は、一生懸命泳ぎ続けて、水の上の氷が凍らないようにしていましたが、夜になるとせっかくあひるの子が泳いだところも、固く固く凍っていくのでした。

 あひるの子が泳げる場所は、日に日に狭くなっていきました。
 それでも一生懸命に、足でばしゃばしゃとやって氷を割り続けましたが、そのうちもう全く疲れてしまい、ぐったりと水の中で凍えていきました。

                         

 翌朝、一人の農家の人があひるの子を見つけました。彼は、あひるの子の周りにあった固い氷を、自分が履いていた木靴で割ると、あひるの子を手で抱きかかえて、家に持って帰りました。

 暖炉の前で、あひるの子は息を吹き返しました。

 その家の子供たちが、あひるの子と遊ぼうとして触れると、彼はびっくりしてミルクの入っていたお鍋の中に飛び込みました。また、何かいたずらをされると思ったのです。

 続けて、粉をひっくり返し、その後バターをひっくり返しました。

 この家のおかみさんや、この家の子供たちがあひるの子を捕まえようとするのですが、なかなか捕まりません。家の中は大変な騒ぎになっていきましたが、その騒ぎの中からあひるの子はうまく逃げおおせることが出来ました。

 あひるの子は、すっかりと疲れてしまい、草むらの中に身を横たえると、新たに降り積もった雪の中で眠りました。

                         

 ある朝、みにくいあひるの子は、蒲の生い茂る水辺で目を覚ましました。
 お日様はぽかぽかと、暖かく、また雲雀の鳴き声が聞こえてきました。

 あたりはすっかりと春になっておりました。

 みにくいあひるの子は、羽を動かそうとすると、それは自分の横腹をしっかりと叩きました。

 あの苦しい冬がまるで夢のようでした。おだやかな小川の流れも、美しい水の音をなびかせてさらさらと聞こえてきます。

 その時でした。

 あちらの水草の茂みから、三羽の美しい白鳥が、なめらかな水の上をすべるように泳いであらわれてきました。

 みにくいあひるの子は、急に現れた白鳥にびっくりしましたが、やがていつかのあの光景を思い出して、前より一層寂しい気持ちになりました。そして、こう思いました。

「いっそのこと、あの立派な鳥のところに飛んで行ってやろう。
そうしたら、あいつらは、僕がこんなにみっともない姿をしているのに、『自分たちのそばに来るなんて失敬だ』と言って僕を殺すに違いない。
あひるのくちばしでつつかれたり、めんどりの羽根でぶたれたり、鳥番の女の子に追いかけられたりするのは、もういい。そのほうがよっぽどましだ」と。

 みにくいあひるの子は、彼らのいる水面に飛び降りました。
 そして、その美しい白鳥のいるところに向かって、自分のほうから泳いで行きました。

                         

 白鳥は、自分たちのほうに泳いで来る、みにくいあひるの子を見ました。そして、その大きな翼を広げると、急いで彼のほうへ近づいてきました。

「さぁ、殺してくれ」

 この可哀そうなあひるの子は、頭を水の上に垂れ、じっと殺されるのを待ち構えました。
 その時、彼は自分のすぐ下、水中に潜むもう一匹の白鳥を見ました。

「あっ」と彼は驚きました。
それは、もう一匹の白鳥ではなく、水面に映った自分の今の姿でありました。

                         

 彼はもう、あのくすぶった灰色の、見るのも嫌になるようなみにくい姿ではありませんでした。
 彼は一羽の、それはそれは美しい白鳥となっておりました。

 彼は、その姿がとても自分自身とは思えませんでした。


 しかし、三羽の立派な白鳥達は、彼を歓迎する印に、彼のもとに皆寄ってきて、それぞれのくちばしで、みにくいあひるの子の首を撫なでていました。

「やっ!」突然、大きな声がしました。

 湖に遊びに来ていた子供たちの一人が、彼をめざとく見つけると、こう言いました。
「もう一羽、新しいのが来ているよ」

そう言うと、手に持っていたパンやお菓子を湖の彼のそばへと投げ入れました。

                         

「新しいのがいちばんきれいだね。若くて本当に美しいね」

 そう子供たちが言うので、年をとった白鳥までもが、この若い白鳥の前でお辞儀をしました。
 若い白鳥は、決まりが悪くなって、翼の下に頭を隠してしまいました。

                         

 若い白鳥は、傲慢な心など塵ほども起こしませんでした。
 ただただ、幸福な気持ちでいっぱいになりました。

 みっともないという理由で、あんなに馬鹿にされていた自分が、今はどの鳥よりも美しいと言われている。実際、こんな幸せがあるなんて夢にもおもわなかったなぁと、叫びました。


注(上記文章は、青空文庫の「みにくいあひるの子」菊池寛 訳より出典したものを、                               寺千代が引用創作したものです)




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