私塾 紫微垣
                      徳を積む                        
運命は変えることが出来る

  陰隲録(いんしつろく)
 人を幸せにすれば幸せが返ってくる

                          〜紫微垣でお話しした「徳」についてのお話し〜





 中国、明の時代に、袁了凡(えんのりょうぼん)という少年がいました。
 幼い頃、父を亡くし、母の手によって育てられました。

 お母さんの実家が、代々お医者様でしたから、彼もまた、医者として家を継ぐ必要があったため、医学の勉強を志しておりました。


 

 ある時、その少年のもとに、真っ白な髪と髭を生やした、不思議なおじいさんがやってきてこう言いました。

「私は中国で当代随一と言われた易の大家です。どれ、あなたの未来を占ってご覧にいれましょう」

半ば疑いながら、この老人の話を聞いてみました。するどどうでしょう。

袁了凡の年齢、母親の年齢、父親が亡くなった時の年齢、今一緒に住んでいる家族の人数を言いました。

さらに、病気をした時の年齢、袁了凡の細かな癖までこの老人は言い当ててしまうのでした。





 そして、「あなたは、医学の勉強をしていると思うが、それはやめたほうがいい。

本来、あなたは官吏に向いている。今すぐ医学の勉強をやめて、官吏の勉強をしなさい」

「しかし、私の家は医者なのです。志を変えるには、母の承諾が必要です。それほど言うのなら、母を説得してください」

「それならば」と、母親と会って話しをしてみると、これも言うことすべて百発百中。母親は驚いて、「分かりました。それほどおっしゃるのなら、息子の天命を信じましょう。官吏の勉強をさせましょう」ということになりました。




 当時中国は、科挙といって厳しい試験によって官吏に採用され、昇進する仕組みになっていました。

 その易者は、彼が初めの試験で何点を取り、何番になり、給料をいくらもらうか言い当てました。

 さらに、次に試験では何点を取り、その結果いくら給料をもらうか。その次、その次…

 最終試験は給料が50石になった時。その時は何点を取って合格する。結婚は何歳の時。あなたの寿命は53歳。残念ながら子供は出来ない。





 果たして、彼はその老人が言うとおりに勉強したところ、まったく予言どおりになったそうです。一度目の試験の点数、その時の給料の額、二度目の試験の点数、給料、寸分の狂いなく、予言そのままにピタリと当たっておりました。


 袁了凡は思いました。これはすごい。私の人生は、あの易者のとおりになるに違いない。
彼はこうして運命論者になりました。もはやそれを信じて疑おうとはしませんでした。



 ある日、彼は廟(お寺)で座禅をしていました。

 そこへ雲谷(うんかい)禅師という有名な禅のお坊さんがやってきて、共に参禅をしようということになりました。


 二人はなんと三日間禅を組んだそうです。

 ところがその三日間、袁了凡の心には、よけいな雑念、妄想、人生の迷いが一切なく、静寂そのものでした。

 雲谷禅師は、びっくりしました。

「私も禅坊主を長らくやっておるが、あなたのように何の雑念もなく、妄想もなく、静かな捨てきった心の持ち主は初めてです。一体、どこで、どのような修行をされたのですか」と言いました。
 

 袁了凡は、易の大家に会い、その老人から自分の運命をことごとく当てられたこと、そしてそのようになったこと、自分の一生はすでに決まっているということを話しました。



「私は、もう何も迷うことはありません。私の人生はすでに決まっています。これで満足しているのです」

 袁了凡が言い終わると、雲谷禅師は突然大きな声で笑うと、こう言いました。

「そうか、悟っているのではないのか、諦めていたのか。私はすっかり勘違いして、そなたを買い被っていた。この愚か者め。だとしたら、お前は何のために生きているのだ」


 そして、いにしえの聖人や仏門に仕えたそうそうたる人々の例をあげ、徳を積むことで天の命数を変えられることを説き、袁了凡を諭し始めました。



「良いか。善い事をすれば、やがてそれが善い出来事となって、自分に返ってくる。悪いことをすれば、悪い出来事となって、自分に返ってくる。日々の暮らしの中で行うどんな些細なことでも、天の記録帳に記録されるのじゃ。それは我らの心を通じて、そっくりそのままに書かれてしまう。それは見事なものじゃ」


「お前の辿ってきた道は、生まれながらのお前が持っていた天の命数に過ぎん。『易経』にはこう書かれておる。積善の家には必ず余慶あり。不積善の家には、必ず余殃あり』と」


「わかりました。私はどうすればよろしいのでしょうか?」


「陰徳を積みなさい。真心を込めて、善行をひとつ、またひとつと積んでいくのです。さすれば、そなたに課せられた運命はやがて、良いほう良いほうへと変わっていくだろう」


「…そうでしたか。ありがとうございます。私は、自分が運命論者であったことにようやく気がつきました。このままではいけない。私の人生は私のものです。徳を積めば、自分の人生はいくらでも変えられるのですね」




 そうして彼は、雲谷禅師から「功過格」という手帳を譲り受けると、彼の徳の得点表をそこに書き入れていきました。

 良いことを行えば、プラス一点。悪いことをすれば、マイナスで差し引きゼロという風に。。

 貧しい人に食事を与えたり、買ってきた魚を逃がしてやったり。壊れそうな神社を修理したり。死にそうな動物を救ってやったり。。

 そうしながらありとあらゆる善根功徳を点数化して、そこに記していきました。

 今日は、何点。今日は何点。日々、点数を増やすのを楽しみにしながら、雲海禅師に掲げらた目標三千の善事を目指して、そうやって功徳を得点にして積み上げていったのです。



 
 それから十年かかって、ようやく三千の目標に達しました。

 あの試験を何番で通るという予言がはずれはじめ、給料もあがっていきました。しかも良い方向へ良い方向へと狂い始めたのです。

 そしてまた、あらたな三千の目標を掲げました。今度は、子供が出来るよう、願をかけながら、懸命に徳を積んでいきました。

 二年ほどして、まだ次の三千の目標に届かないうちに、彼にとうとう子供が生まれました。

 
 それから、また時が過ぎ、53歳で死ぬと言われた袁了凡は、その年になっても死なず、彼はもうすでに68歳になっていました。


 
 その年、彼は息子にこういって話しを聞かせました。
 
 「私は少年の頃に、百発百中の易者に私の一生を見破られ、その老師に子供はできないと言われたのだが、こうしてお前が生まれた。そして私は、53歳で死ぬと言われたが、今、68歳になった。

わが愛する息子よ。お前自身の運命は、お前自身の努力で変えられるのだ。

もし、おまえが将来人から人望を集めるような見立場になったとしても、卑しくて誰にも省みられない頃を忘れてはいけない。

もし、おまえが出世をして、有名になったとしても、志を得られない頃のことを忘れてはいけない

もし、すべてがお前の思う通りに人生があいなったしても、意のままにならなかった頃のことを忘れてはいけない。
もし、おまえが豊かになって、着る物や食べる物に困らなくなったとしても、貧しかった頃のことを忘れてはいけない。

いつでも思いやりの心を持って、周囲の人たちもお前自身もいつでも幸せになれるような、良い人生を送っておくれ」




 こうして彼は、まさに徳を積むことで、運命を改善し、自ら運を創ることが出来たのです。


 袁了凡さんと言う人は、実在した人物です。この話しも実話です。フィクションではありません

 彼の書き残した、『陰隲録』にこのことが書かれています。
(陰隲とは、陰徳という意味です。陰徳の記録が、陰隲録です)


   


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