私塾 紫微垣

捌(八)月の暦(こよみ)

8月23日の暦(こよみ)

一遍上人忌(いっぺんしょうにんき)8月23日は、一遍上人の祥月命日です。

 一遍は、鎌倉時代中期の僧であり、浄土系「時宗」の開祖です。
(延応元年2月15日(1239年3月21日) - 正応2年8月23日(1289年9月9日))

遊行上人、捨聖(すてひじり)などとも呼ばれています。

、一遍は伊予国(現在の愛媛県)道後で豪族の家に生まれました。
その頃、平治の乱、源平の合戦、承久の乱などの戦が続き、
また、天変地異や飢饉なども重なっておりました。

 その頃、難しい教義の教えなどではなく、
今いる人々をこそ救おうとする面々なる名僧たちがおられました。
栄西、道元、法然、親鸞、日蓮、一遍、蒼々たる鎌倉新仏教の開祖達でした。

さて、一遍上人は、若い頃に出家しましたが、一度還俗(げんぞく)して家督を継ぎました。
ところが、
親族の家督争いに失望し、再び僧の身となりました。
 
「南無阿弥陀仏」と書かれた札を人々に配って、全国を休むことなく巡り歩きました。
そして、「南無阿弥陀仏」唱えたものは必ず往生出来ると約束しました。
一遍とは「南無阿弥陀仏をいっぺん(一回)だけ唱えれば、仏に救われる」という意味です。

また、執着する心を捨て去るために、
徹底して捨てるということをこだわり続けた方でもありました。

「捨ててこそ」                 

それは、他力本願である阿弥陀信仰において、
すべてをお任せするという境地を、
上人様なりに表した実に分かりやすい方法だったに違いありません。
事実、
わずかに持ち歩いていた経典や自分の著作までも最後には焼き捨ててしまいました。
また、指導する者は私だけである。
跡継ぎなどないほうが良いと言い放ちました。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
とは、前の時代に生きた空也上人が言った言葉ですが、
空也上人の影響も強く受けていると聞きます。

執着は、諸宗教で悪とされる煩悩の最たるものですが、
捨てることで、得られる
本当の愛と安らぎを、上人は教えてくれたのに相違ありません。


念仏の行者は知恵をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、
貴賤高下の道理も捨て、地獄をおそるヽ心をも捨て、
極楽を願う心をも捨て、又諸宗の悟をも捨て、
一切の事を捨てヽ申念仏こそ、弥陀超世の本願に尤かなひ候へ、


六道輪廻の間には
ともなふ人もなかりけり
独りむまれて(生まれて)独り死す
生死の道こそかなしけれ






八月の一覧へ

暦のTOPへ