私塾 紫微垣

壱月の暦(こよみ)

1月10日の暦(こよみ)

十日戎(とおかえびす)1月10日は、十日戎です。

関東に住む人たちには、あまりなじみがないのではないでしょうか?
戎とは、七福神の一員でいらっしゃる恵比寿様のこと。
恵比寿様の祭礼として、主に、この日を含めた三日間、多くの人々が参拝し、
縁起物を飾った福笹や熊手を授かって、商売繁盛を願います。

恵比寿様の起源については、
やはりいくつかの信仰が絡み合い、
現在のようなお姿になられたようです。


@本地垂迹が唱えられた平安の頃には、
この神は、毘沙門天や不動明王の化身であるとされている。
元々荒々しいイメージの神様であった。

A戎(えびす)とは、夷(えびす)と書かれることもある。
これは、中央政府に従わなかった東方の民族、えみしを指している。
また、民族信仰が示すように、それは、
外来の神。異邦の神という意味が表されている。
イルカや鯨をえびすと呼ぶ漁村もある。

B鎌倉時代には、いざなぎ、いざなみの御子であった、蛭子神であるとされ、
蛭子神が流れ着いた場所が、兵庫県西宮市の浜とされ、
西宮神社(蛭子説えびす神社の総本社)の御祭神となっている。

C海の神というところから、記紀神話に登場する
事代主神の釣りをしている姿とが結び付けられた。
釣竿を持ち、鯛を釣っている姿は、本来事代主神のお姿である。
恵比寿様と大黒様が、並べて飾られるわけは、
事代主神の父神が大国主命神であり、
事代主神(恵比寿様)とされたように、
大国主命神(大黒天)とされた由縁による。

D少彦名神や彦火火出見尊であるとする、神社もある。

------------------------------------------------------------------------

初金比羅(はつこんぴら)1月10日は、初金毘羅です。

毎月10日は金比羅の縁日です。
金毘羅とは、薬師如来のご族眷属でいらっしゃる、
十二神将の筆頭宮比羅大将(くびらたいしょう)のことです。

金刀比羅宮は、香川県仲多度郡琴平町の
象頭山中腹に鎮座する神社です。
金毘羅宮、または琴平宮とも書かれ、
こんぴらさん
として親しまれております。
(全国にある金毘羅神社(金刀比羅神社・琴平神社)の総本社です。

長年疑問に思っていたことのひとつに、
金刀比羅と、琴平と、金毘羅はどう違うか?
ということがありました。
この機会に、調べてみたので表記しておきます。

基本的に、琴平は地名であり、
その地にある象頭山(ぞうずさん)の神を祀った神社が、金刀比羅神社です。
そのすぐ隣に琴平山がありますが、山頂差が少ないため、
この二山をまとめて象頭山(ぞうずさん)とも呼ばれます。

かつて象頭山は、瀬戸内海の航行の目印とされておりました。
人々は、象頭山には神々は住み、
それは航海安全の神として信仰されるようになりました。
その後、大物主命がこの山を訪れたとする伝説から、
この神は、大物主神であるとされていきます。

さらに、時代が下り、神仏習合が成されると、
その神は、仏教の仏の形となった時は、
薬師如来の十二神将の筆頭である宮比羅大将(くびらたいしょう)
(元、天竺霊鷲山の鬼神である)
とされました。
宮比羅大将(くびらたいしょう)は、元々ガンジス川の鰐(わに)の神であり、
は日本では龍神であるとされていました。
そのことから、航海安全の神であり、なお祈雨の神ともされました。

宮比羅大将(くびらたいしょう)の別名を、金毘羅と申します。

さらに、永万元年(1165年)には讃岐に流され死去した崇徳上皇が合祀されています。
いかにも複雑なように聞こえるこんぴらさんですが、
日本の歴史の中では、実にあり得るお話であり、典型的な神仏習合の寺社であります。

他の神仏習合で言えば、大国主神が、大黒天と同一視されたり、
天照大御神が、大日如来であったりなど、
いかにもそのように聞こえますが、色々紐解いていくと、
政治的仏教を浸透させるために、無理やりに重ね合わせたと思わざるを得ません。

今でも私たち日本人が、何にでもどこにでもつい手を合わせてしまうのは、
ここからきているものと思われます。

何にせよ、金毘羅参りは江戸時代が特に盛んに行われました。
ちょうど、伊勢神宮へのお陰参りのように、
生涯一度はお参りしてみたいという憧れの地だったようです。

その頃の私たちの先祖たちは、金毘羅さんに何を祈ったのでしょうか?
そして、現代の私たちは、金毘羅さんに何を祈るのでしょうか?






一月の一覧へ

暦のTOPへ