私塾 紫微垣
塾生からの手紙3
塾生からの手紙3
〜 “自分とは何か?”自分自身と向き合う時間 〜
「あるがままの自分」を受け入れる かつて、私の占いのお客様だった女性から、お手紙をいただきました。 (紫微垣に行きたいけど、遠方で行くことが出来ないとのことで、特別に準会員さんになっていただきました) Nさんは、こちらから関西へ嫁いで、新しい生活を送られていました。 今年は、Nさんは、ご自身の人生をじっくりと考える機会が訪れました。 (生きることってなんだろう?) (自分って一体なんだろう?) (私の人生とは一体なんだろう?) 誰もが一度はそんな疑問を感じられたことがあるかと思います。 思えば、生きるということは不思議なことです。 自分の意志で生まれて来たのでもなければ、 自分が望まずとも、この世を去らなければならない時が必ずやってきます。 奇しくも、このひと月のあいだに、私の祖父や近しい人の死があり、また近しい人の二番目のお子さんの誕生がありました。 「人は、生きるのではない。生かされているのだ」 と、誰かが言いましたが、自分ですべて選択して、自由自在に生きているように思えても、必ず、何か目に見えない大きな力が働いていて、私たちはその中でしか生きることが出来ません。 そう、ちょうど孫悟空がお釈迦様の手のひらの中から、結局は抜け出せなかったように…。 その目に見えざる大きな流れのことを、私たちは『運命』と呼びます。 まず、あなたがあなたを好きになってあげなければ、 あなたは、一生許されないままで終わってしまいます その運命を、上手く「運んで」あげるのが、あなた自身。 憧れのあの人のように、決して上手くは出来ないけれど、 時間が掛かってもいい、人には理解しづらいことだって構わない あなたのその想いが、本当に素敵なものであれば、 決して、盗まれてはならない、光り輝く、目には見えない大切な宝物であるとしたらならば、 あなたは、決して、その宝物を、かんたんに人に譲ってしまってはいけない。 人はかんたんに、『自信を持て』などと言うけれども、 誰もが想う事ではない、また、今の自分では力不足、でも、いつか絶対に出来ると思っているものには、『自信』なんて、人が言うほどかんたんには持てるものではないと、私は思うんです。 それでも、そんな私の心というものは、決してそのままでは、人に見えないもので、そのまま、私がそのことを自分で唇を動かして伝えなければ、前には進めないこともあるんです。 だから、私は、Nさんに、「今、目の前にあるにんじんを食べちゃってもいい(ジャズ歌手の鈴木重子さんのエピソードより)」というお話をしました。Nさんはそのことで、ご結婚に踏み切りましたね。 自分の信じたもの・自分の愛した人・自分が大好きなもの 人は、そうやりながら、人生を選択しているはずなんです。 だから、いつでも好きなことをしているはず。 いつでも、自由で、自分の意志を尊重されているはずなんです。 私たちは、もう一度、自分が本当に何を好きなのか?何をしたいのか?を、自分自身に問いかけてみるべきです。 そして、そうやって選んだ人生を、決して後悔しないこと。歯を食いしばって生きていくこと。そして、一生懸命頑張り続けてきた自分を、もっともっと褒めてあげるべきだと私は思うんです。そうやってみて初めて自分が、(嬉しい)と言ってくれるんです。そんな嬉しい気持ち、嬉しくなる機会を、たくさんたくさん作ってあげて欲しいと、思うんです。 2012.11.7 寺千代 |
Nさんからのメール 長い手紙をお読みいただきありがとうございました。 手紙を書きながら、思い出したことがいくつかありました。 その一つが、 子どもから大人(上京して働きはじめて)になって、今まで、自然からの合図をこちらからキャッチ出来ていたのが、 どんどん、仕事が忙しくなって、ちょっととした変化に気付けない、気配を感じることが鈍くなっている、素通りしてしまう。事に気づいた時、寂しさがありました。 感じつつも、じっくりと触れることもなく、ただ時間が過ぎていて。 時々、鎌倉へ行って切通しを歩いてみたり夕暮れ時、源氏池をぼーっと眺めていたり。時間がある時は北鎌倉から鎌倉まで道すがらのお寺さんを巡り、みんな(幅広いですが)の健康や世界の平和(ちょっと大きすぎますが)をお祈りしていました。 でも、帰れる場所ではなかったのかな と。。 土を見ることも減って、 作り物の土ではなく、林や森の中の、落葉樹の枯れ葉がたくさん沢山積もってゆっくり分解された土。 子供の頃、秋 友達と裏山で木の葉をたくさん集めてその上に寝転んだり、お布団のようにもぐり込みみんなで『あったか〜い』と発見したり。 中学生の頃も何だか一人になりたいな…と思ったときは裏山を歩いて歩いて草の上に寝転んで、虫の羽音や草の匂い、風が木を揺らす音、いろんなものが感じられそれだけで、元気がもらえた。委ねられる場所。そんな子どもの時間。 あの頃、両親に「山に行ってくる」と言うと、 「あぁ、行ってこい、行ってこい。元気が出るぞ」と言ってくれてました。 そう考えると、今住んでいる○○は、家の中にいても、モズやジョウビタキ、ヒヨドリの声が聴こえる、歩くと、田んぼがありため池があり、まだ中には入れませんが林があって森があって。 少しずつ草花を携帯のカメラに納めています。 子ども頃から草花が好きで、そういう関係の仕事と考えた事もありましたが、何故か看護師でした。祖父の影響がつよいのだと思うのですが。 話がずれましたが、『牧野富太郎』という人物にもひかれています、これは小学生の頃から。私が熱心に家にあった草花の本を見ているからか、父が『牧野植物大圖鑑』を見せてくれた事がありました。 時間が経つにつれ、その偉大さを感じるようになりました。 あっ、 また、話が長くなってしまいました。すみません。 結論としては、この土地は私が居てもよいのかなぁと、最近思うようになったことです。少しずつ、いろんな自然を見せてくれているので、それを感じられてきた自分、と思えるようになってきたことです。 また、様々なお話が聴けるのを楽しみに致しております。 新規準会員の女性の方より 塾長からの返信 また、素敵なメールありがとうございました。 今回、Nさんのメールを、こちらでご紹介しようと思ったのは、これを読んでいらっしゃる皆さんにも思い出していただきたかったのは、Nさんが子供の頃に見聞きして感じていた世界は、すべての人間の原風景だからなのです。 私が、20代の頃、こんな詩を書いたことがあります。 「私達若い者は、古い街並みの中に入ると、みんな子供になってしまう。大自然の中では、みんなが子供である」 今年、熊本・長崎の旅に行って来ました。 都会の人が失ってしまった、「ゆとり」「平静」「誇り」「季節感」のすべてを、これらの地の大人たちは皆さん持ち得ていらしてました。 それはどこからやってくるのかというと、それはお山からやってくるのです。 明日を信じる希望の力、夢見る力、勇気、それらはどこからやってくるかというと、それは、大きな海の彼方からやってくるのです。 都会にいる私たちは、便利な生活と交換に、夢や勇気や希望や誇りをどこかに置き忘れて無くしてしまいました。 それで、みんなが寂しくなってしまったのです。 みんなが迷子。みんなが何者かに恐れおののきながら、平静を装って、平気なふりをしている。 子供達にとって、家の中でゲームをしているよりも、自然の中で遊んでいたほうが、よっぽど楽しいに決まっているんです。 変に器用になって、ごまかし方が上手になって、大人の知らないところの知識がやたらに増えていくよりも、かつて子供だった大人達が感じた、怖さやあたたかさや、わくわくした気持ちやどきどきした体験をなぞらえて自然に学んだほうが、かえって色々なことが学べるはずなんです。 そしてそれは、その人の原点、一生持ち続ける、その人だけの大切な宝物になるはずなんです。 私達大人は、今の子供達にそういうことを教えてやらなければならない。この小さな狭い国でしか通用しないような、いつかは飽きられて、心の中に風が吹き抜けるような、狭量たる人を作ってはいけません。 Nさんが感じたような、本物の感動というものは、知れば知るほど、時が経てば経つほど、それらはより正しく、より美しく私達の胸の中で輝き続けるものです。 そうすることで、私たちは、初めて、人を信じることが出来る。世界はなんてすばらしいんだろうって思えるんです。 Nさんが見つけた、Nさんが愛して止まないNさん自身の宝物、これからも大切にしていってくださいね。 寺千代 本当に大切なものはね、目には見えないんだよ …(サン=テグジュペリ「星の王子様」より) |
Nさんからの返信 ホームページ、拝読させていただきました。 丁寧に読んでくださりありがとうございます。 読み終わって「あぁ、宝物なんだ!」と。 子どもの頃から大切にしていたもの、好きだったものは『宝物』なんだ、と。 素敵な素敵な名称です。 「あなたの宝物は?」 …家族だったりものと答えがちですが、 もちろん家族のことも大切ですが、自分が大切に大切にしていたもの、子ども頃の記憶だったり、思い出だったり。みんな宝物なのですね。 茅葺き屋根の家で過ごした幼少期の思い出はいまでも色褪せません。 茅の葺き直しを泊まりがけで福島から来ていた、屋根葺き職人さん達。煤竹(すすたけ)が沢山ありました(これが貴重なものだとしるのは随分後になってからですが)。 漬け物はまだ、木の樽でした。 味噌は大釜で煮た豆を杵と臼で潰し、味噌玉を麹を筵の上に作って時々祖母が麹を混ぜるのに筵いっぱいにひろげている作業風景やできた模様、香りまでが思い出されます。 もちろん、蛇口をひねってもお湯は出ないので、釜でお湯を沸かす。 五衛門風呂だったので、火の使い方を自然と学んでいました。 竈や五衛門風呂だったので冬は『竈猫(かまどねこ)…結婚してからこの言葉を知りました。冬の季語なのだそうです。』なるものに何回遭遇したか。 外は暑くても、ウラド(北向のところ)はなんと涼しかったことでしょう。 冬、大風の次の朝は、きまって真っクロクロ助が床に落ちていました。 中二の時、家を半分改築し、茅葺き屋根の上にトタンをのせたとき、とても寂しい気持ちになりました。便利になるが、失うものが沢山あるような気がして。 でも、これも大切な大切な思い出、宝物なのだと。 本当にありがとうございます。 熊本・長崎のくだりで、ちょうど最近よんだものがそうだったので。 『ペコロスの母に会いに行く』岡野雄一著 と言う、マンガとエッセイですが、長崎弁で語られるなんともやさしい気持ちになるものでした。 「さっき、父ちゃんが訪ねて来なったばい なあユウイチ 私(うち)がボケたけん 父ちゃんが 現れたとなら ボケるとも 悪か事ばかりじゃ なかかもしれん…」 『ペコロスの母に会いに行く』より 他にも色々ありますが、すでに長くなってしまったので、。 尻切れトンボですが、 まずは、お礼までm(__)m。 N.Nさん 掲載にあたって… (拙い文章で申し訳ありませんが、少しでも皆様のお心に、何かが通り過ぎることが出来ましたら幸いですm(_ _)m) |
塾長からの言葉 Nさんは、私よりも確か三つほど年下の女性ですが、幼い頃にこういった自然に即した生活を体験出来たことは、本当に貴重な体験だと思いました。 Nさんの言葉からは、作り物の言葉というものが感じられません。 すべてが、実体験に基づいている生きた言霊。 だからこそ、胸にすーっと入ってくる。 目の間に、その時の情景が、ありありと浮かんでくる。 私達も、身の回りにある物や、人や、命を大切にして、良い記憶をいっぱい留めていきたいですね。 それこそが、この世にあなたが『生きた』という証なのだから。。 寺千代 |
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