人生の書

6、ズボンをずり下げてはくこと

 世界各国で、語り継がれてきたモラルが、
それぞれの国において崩壊して来ている。

 モラルとは、何が正しくて、何が良くないことかということ。
 そして、日本語で言えば、『礼節』がイコールモラルである。

 私達は、戦後、自由経済の社会の名において大切なものを忘れて来てしまった。

 それは、恥(はじ)という言葉である。

 「格好良ければ、何をやっても良い」という獣のような風潮は、
かつて日本人が持っていた恥(はじ)を持ってしても、留まることをしなかった。

 『ズボンをずり下げてはくこと』

 これもそのうちのひとつ。

 もちろん、ファッションについてとやかく言われたくないという方も
おられることと思う。

 そう、それが粋(いき)であるか、否かというものは、多分に人の感性をもって最終的に
決定されるものである。
しかし現代のように、何をもってその感性の正しいか否かを判断するには、
ただただ異論が飛び交うことであると思う。

 しかしながら、とかく、私達日本人は、「誰々がやっているから〜」という、
実に主体性のない理由にとてつもなく弱い。
そしてそれ以上に、やっと恥(はじ)を実感する対象として、海外からの
指摘(特に西洋文化圏)が、今だ挙げられる。

 ならば、こんなのはどうだ。


米ニューヨークの裁判所が28日、ズボンをずり下げて着用するいわゆる「腰ばき」で逮捕された男性について、合衆国憲法は国民が好きな服装をする権利を認めているとして、出廷命令書を却下していたことが分かった。ロイターが29日に裁判書類を入手した。

 ブロンクスに住むフリオ・マルティネスさんは、パンツが見えるほどズボンを下げてはいていたとして召喚を受けた。逮捕した警官は、マルティネスさんの服装について「ズボンを尻の下まで下げて下着を見せ、陰部が見える恐れもあった」とし、風紀を乱していると指摘していた。

 これに対し判事は、その格好がひどいものであるとは認めながらも、社会の秩序や良識を侵すものではないとの判断を下した。判決文によると、腰ばきは、サイズの合わない制服を与えられながらも安全上の理由からベルトの着用を認められない刑務所の事情に由来しているという。

[ニューヨーク 2010年7月29日 ロイター] 


指摘され、主張し、戦うよりも前に、

分かりそうなものではある。

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