人生の書

5、難しくて取っ付き難いこと

 「神道の理論」を書かれた中央大学名誉教授でいらした、中西旭先生。

御年100歳でみまかられましたが、この著作が書かれたのも、すでに50年も昔のことでした。

神道の権威でいらした中西先生の書かれたこの著作は、戦後の神主さんの教科書となり、「神道とは何か?」という実に分かりにくい、そして説明しづらいテーマに対して、ずばりと回答を出したのが、この本です。

この幻の著作が平成7年に復刊され、私は当時、その復刊記念講演会に招待していただきました。

その時、出版社の方が言ってらしたことですが、「こちらに書かれている文書は文語体ですので、現在の私達には少し分かりづらいと思います。皆さんが分かりやすいように、口語体に直してもよろしいですか?」そう先生に聞かれたそうなんです。

その時先生は、このようにおっしゃったそうです。

「言葉というのは、それ自体が言霊ですから、そこに書かれたものはすでに魂が入っている。それを読みにくいからと言って、勝手に変えてはいけないんですね。第一、今の人たちは言葉を大切にしなさすぎる。こちらはこのまま出版してください」と。

それで出版社の方たちは、先生の言葉を信じてそのまま読んでみました。
「読めるんですね」とおっしゃいます。

文語体。たとえば、聖書の言葉を出すととてもわかりやすいと思うのですけれど、
「あなたは、盗みを働いてはいけません」という言葉を、
「汝、盗むなかれ」というあれですね。

どちらのほうが、胸にぐっときますか?

私も、「神道の理論」購入してたったの一度ですけれど、すべて読みました。
ちゃんと理解出来るんですね。

難しいから、とっつきにくいからとかいう理由で、敬遠してしまうことは、果たしていかがなものでしょう?気楽で、とっつきやすくて、分かりやすい楽な言葉ばかり求めようとするから、芸能人たちのブログを見ても、詩(ポエム)がありませんね。

  今日、朝起きた

  晴れだった

  一日、超楽しかった

  また、遊びに行きたいな
                                      画像提供:1キロバイトの素材屋さん
何かを求めてそのページを開いても
、感動もなければ、新しい発見もないでしょう?お借りしたサイトの画像は、確かに頬ずりするほど可愛いけれど、かわいい、かっこいい芸能人の写真を見て癒されるのかも知れないけれど、時を隔てても同じように出来るものなのなのかな?って僕は思います。

紫微垣で行う講義は、四書五経に仏教、神道と書きましたが、何もそれを原書のまま、読み合わせをするわけじゃありません。その中から、テーマに合わせて抽出して私が必要な部分を読み下すだけです。

しかしながら、昔の子供たちは、これを暗記させられました。私も当初、そんなことに意味があるのかと思いました。

ところが、私の敬愛する安岡正篤先生は、このように言っています。
「どんな難しい言葉でも、どんな幼い魂であっても、それを噛み砕いて言うようなことはしなくてよろしい。それは今、理解出来なくても、いつか必ず理解できるようになる時が来る。そして、今、知覚で理解できなくても、それを潜在意識はちゃんと受け止めることが出来るのだ」と。

大切な言葉。人として、大切な行いは、複雑で、現代の私達が日常使っているような言葉では、到底言い表せないようなことがたくさんあります。しかし、「言葉」に「詩(ポエム)」の含まれた言霊は、だた一言で幾つもの解釈をすることが可能です。

かんたんで、便利で、とっつきやすい言葉は、その時は良いかも知れないけれど、やはり、浅はかで、頭で分かったつもりになっていて、とっさの時に何の役にも立たない。
“良薬口に苦し”じゃないけれど、僕だって難しい言葉が好きなわけじゃないけれど、日光東照宮の陽明門が一日中眺めていても飽きないことから、日暮門と呼ばれるように、人の心に、言葉が言霊となって染み込んでいく。

クラシック音楽が、現代のポップスに比べて、どうしてあんなに長いかと言うと、あの音の抑揚の中に、人のよろこびも悲しみも、痛みも切なさも儚さも、栄光も、脱落も、復活も、様々な感情が、織り込まれているからですよ。

貴族にとっても、王族にとっても、庶民にとっても、外国人にとっても、
誰が聞いても素晴らしいと思うからこそ、あれだけ長くなってしまうのですよ。
時代の流行り廃りに流されることなく、何百年も生き残れるのですよ。

私はね、その時の人の悩みが解決したから、はい良かったね。もう苦しくないね、で終わりたくないんですよ。

占いやっていても、講義をしていても、舞台に立っていてもね、いつだって人の魂に向って発信しているから、紫微垣に来ている人たちだって、頭で理解しようとしている人はいませんね。

何だか楽しい。何だか、面白い。
終わってみたら、ふと心が軽くなっていてね、
ふとひとりぼっちで悩んでいる自分を、見つめなおしてみたら、
あの時、占いで言われた、あの時紫微垣で言っていた言葉がね、
あぁ、今の自分にまさしく必要なことなんだって。あの時は分からなくても、今分かったって。

そういうのを、私は発していきたいと思っているんですね。

難しそうって、取っ付きにくそうって。
人生の中で自分の目前にやってきた難問のほうが、よっぽど難しいでしょう?
人様の一生ですもの、そんなにかんたんには出来ていません。

かんたんなもの、気楽なもの、それを見て聴いて、自分で解決できるようあれば、
その人は素晴らしい人ですよ。
人間出来上がっています。

僕達が子供の頃、名画とか名著とか、ことわざとか、故事とかね。
何度も何度もくり返して、何度も気がついて、何度も思い直して、また歩き始めてね、そんなものが僕は本当のプラス思考だと思うんですけれど、今の人たちは、自分の好き嫌いがプラス思考になっちゃってる。都合の良いものがプラス思考になっちゃってる。

パワースポットとか、言霊とかって、格好よく言ってはみるものの、その本質を知るとかになると途端に面倒くさくなっちゃってね、何かあった時に、自分で自分の悩みを解決できる人。そうなるにはやはり、何遍も何遍もくり返して嫌な自分が出ないようにすることが大切だと思うんですね。

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