人生の書

31、「共産主義」と「ユダヤ人」


 共産主義は、政治や経済分野での思想や理論、運動、体制のひとつ。
財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす。
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 ここ数年、共産思想の人間と接触する機会が何故か多かった。

 しかしながら、世界の共産国家であった、旧ソ連やドイツ、その他多くの国々が、崩壊して新しく生まれ変わった。もはや共産主義なる思想は、失敗であったことは、明白であろう。

 共産主義の問題点というものは、博愛を求めながら、究極の利己である独裁に陥ってしまうこと。豊かさを求めながら、貧しい生活へと転落していくことである。

 人はどんな者であっても、権力を持つと馬鹿になってしまう。
 だから、先生だとか呼ばれる立場になったらよほど気をつけないと、傲慢になってしまう。

 だから私は先生などと呼ばれないほうが良い。そうやって占いの師匠である丸山先生に言い続けてきた。

 さて、私が接した共産思想の人間は、もちろん日本人である。

 彼らには、共通した特徴がある。

 それは、自身が所有する「権利」について、執拗に執着することである。
 それは、目に見える財産とは限らない。知的所有権もそうだし、何かが上手くいかない時には、決して自分のせいにはせず、何かのせいにする。そうやって、自らが罪を被ることを逃れる。
 そのことで、平気で人情も欠くし、自らがいかに善人であるかを、理論武装して、人に罪を着せることはお手の物である。

 権利と同時に、「合理性」という言葉も彼らの好む言葉である。
 怒ると直接、対峙することを避け、「警察」「裁判」という語を持ち出し、自らが直接手を下すことなく、法によって代わりに裁かせようとする。それで上手くいかないときは、国や法に文句を言う。

 概して、意地悪な人間が多い。ふだんは善人であるが、権利がからむと人が変わったように、豹変する。


 私は、右翼だの左翼だの主義主張は、近代日本の過渡期におけるプロトタイプであると思っている。
 当然のことながら、その主張によって展開された世界の動向は、一時は成功したように思えたが、すでに行き詰まりを見せたのは、周知の通りである。

 正直なところ、私たち(私は1970年生)の親世代が真剣になって討論してきたはずの、どちらの主義形態についても、私たち以降の世代に関して言えば、それほど興味をそそられる問題ではなくなってきている。そのはずであった。


 しかしながら、共産思想というものは、形を変え、私たちの身近なところで、さらに次世代へとその悪性の触手を伸ばそうとしている。
 それは、学問の中に入り込み、またマスコミを使って、伝統や国民の愛国心を破壊しようと企む

 今回は、ある著作の中に、共産思想がいかなるもので、どのような経緯で日本に入って来たのかを明記する一節があったのでご紹介したいと思う。中丸女史は、さらにこの著書の中において、ある本を紹介しているので、まずはそこからご紹介させていただくことにしよう。

 以下は『闇の権力とUFOと2012年』 -中丸薫・矢追純一-より抜粋、私が再校させていただいたものである。


『日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔』
〜ユダヤ長老が明かす戦後病理の原像〜
           モルデカイ・モーゼ               参考URL

モーゼ氏は、1907年ウクライナ生まれ。ユダヤ人。
ドイツに亡命したのち米国籍を取得、アメリカに移り住む。
国際連盟労働局にて極東問題を担当。
第二次大戦中は、ルーズベルト大統領のブレーンとして日本を研究し、戦後の対日処理(GHQ政策)にも加わり、マッカーサーが日本に来た時は労働局長として同行している。

 モーゼ氏は、自著『日本人に謝りたい』(日進報道)の中で、「共産主義はユダヤ人が作り出したものである」と証言している。

 ユダヤ人は長い間迫害されてきたため、君主国家(一人の王が中心となって国を治める国)なんかないほうが良いということで、フランス革命やオーストリアの革命などによって、君主制を片っ端から潰してきたという歴史がある。

 日本の天皇制にしても、どうせ西洋の君主制みたいなものだから潰してしまおう。天皇制を廃止した上で、民主主義を押し付けようと考えたという。
 それで共産主義を吹き込み、ある日本人に天皇制廃止を唱えさせた

 ある日本人とは、戦後の日本を揺るがした美濃部達吉のことである。


 
彼の「天皇機関説」は、ゲオルグ・イエリネックというユダヤ人による国家機能弱体化運動の一環であった。また、宮本顕治・日本共産党委員長(当時)を育てたのも、ユダヤのラビ(ユダヤ教の指導者)だったと告白している。

 なぜ民主主義だったかというと、ジャンジャック・ルソーが、この世に本当に理想の国があるとしたら君民共生の国であると言ったが、そんな国はあり得ないから、やむを得ないので民主主義でやろうと思ったと言う。

モーゼ氏は、「私は日本を誤解していた。日本の君主制度は素晴らしい。この制度の中にこそユダヤの永遠の理想がある」と言い切っている。

 マッカーサーも終戦直後の1945年に昭和天皇に会った際、昭和天皇は「すべての責任は私にある。この身はどうなっても構わないから、日本国民をよろしく頼む」と言ったことを振り返り、20年後に著した回顧録のなかで、「私は神を見た」と述べた。

 モーゼ氏は、戦前の家族制度について、
「あんな素晴らしい制度を壊してきたことも間違いだった」
と告白している。
 
 それは、日本の家族制度が強固なため、労働者は失業しても家族が支えてくれるので労働運動などする必要がない。この家族制度を壊さない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは非常に難しいということで、躍起となって家族制度を壊そうとしたという。

 階級闘争とは、生産手段の私有が社会の基礎となっている階級社会において、階級と階級の間で発生する社会的矛盾を克服するために行われる労働運動のことを指す。

 もともと農耕民族であった日本人は、昔から互いに助け合い、公のためにつくす民族であった。そんな先祖伝来の精神性が軍国主義をもたらしたとして、GHQによりことごとく破壊されたのである。民族の結束が強く、い精神力を持った日本人を二度と立ち上がらせないようにするためには、日本人の強靭な精神の源となっているアイデンティティを破壊し、精神的に骨抜きにすれば良いことを、闇の権力者たちは分かっていたのである。

 モーセ氏は「自由・平等」という毒を民主主義に入れたこと、また民主主義も共産主義も虚構であると言い切っている。
 なぜなら、自由・平等・博愛の名のもとに個人主義に走り、国家への義務や公共の精神がないがしろにされてしまうからである。

 もちろん、祖国愛、愛国心も失われてしまいます。

 日本教育が、これほどまでにも崩壊している背景には、戦後、押し付けられた憲法が大いに影響しています。

「自由・平等・博愛」の精神は織り込まれていますが、「公共の利益」「国家に対する忠誠心、義務と責任」は入っていない。それを入れずに、「自由・平等・博愛」だけを主張しているところに問題がある。

 こんな思想にも長い歴史を通して国家というものを持たず、「呪われた民」「流浪の民」として生きてきたカナン人の血を感じないわけにはいかない。

                                            以上、抜粋終わり



                                         2014.1.7 寺千代

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