人生の書

25、夢路よりかえりて


 先日、群馬県にある【はまゆう山荘】-【榛名神社】の旅より帰って参りました。

 はまゆう山荘へは、毎年恒例となりこの季節を楽しみにしているのですが、私は今年で4年目。妻はお仕事でお世話になっており、なんと今年で13年目を数えるのだそうです。

 
 はまゆう山荘の周りは、コンビ二からも程遠く、車を持たない私たちは、この山の中の静かな建物の中で、ほぼ缶詰状態になってしまいますが、普段、街のなかで暮らしているよりも、開放感に満ち溢れています。

 現代の私たちは、きらびやかな衣服や、めずらしい食べ物や、快適便利な交通手段等を懸命になって求めているように思えてなりません。

 しかし、私はどちらかと言うと、そういったものが窮屈に思えてなりません。
 そして、いくらでも足りないものを想います。

 人でも、物でも、既製品や完成品ばかりを求めようとする人たちを見ていると、浅ましさを覚えます。


 
それに比べれば、ここには必要なものはなんでもありました。

 豊かな人の心。

 豊かな緑。

 鳥の鳴き声。

 豊かな湧き水。

 そして、毎回訪れる、心躍るような、未知なる発見…。


 
 今回の未知なる発見は、三つありました。

  @榛名の美しい夜空
  A桃太郎トマトソフトクリーム
  B倉渕の子供たちとのふれあい


 @は、四年通って初めて見ました。
 いつもは、必ず曇ってしまい、見れなかったんです。

 まるで、包まれているようなやさしさ。
 時折、またたく星。時折、走る、流れ星。

 街灯の何もない、真っ暗な所だったから、怖かったけれど、
それ以上に星たちは、優しく私たちを包んでくれました。


 Aは、私のこだわりなんです。
 世の中でいちばんおいしいもののひとつだと思う。

 しかし、いまは何でもソフトクリームにしてしまう流行のようなものがあって、いつだったか期待を裏切られたときには、どうしようもない怒りを覚えます。

 今回のこの桃太郎トマトソフトクリームは、違いました。

 まず、その濃厚なクリームを口に入れると、しっかりとトマトの野菜本来の味がしてくる。そのバニラとトマトとの配分が絶妙で、トマトの中に含まれているリコピンのおかげでしょうか、飲み込んだ時、やや酸っぱさを感じるその風味が、一口食べるごとに疲れがすっと抜けてくるのです。

 これは製作者の方とお話ししたのですが、やはり、ご自身で大切に育てたトマトを皆さんにおいしく食べていただくためのこだわりが、たくさん込められていました。



 Bは、実はひさびさに役者として舞台に立ちました。
 久美さんのピアノに合わせた、星の一生を語る星の大好きなおじいさんの役。
 久美さんのコンサート終了後、倉渕の子供たちは、僕の作った【ひげ】に興味深深でした。




そして、未知なる発見の最後に…

 昨年も、ここを訪れた時。湖の周囲のお土産やさんに、竹久夢二の作品が普通に飾られているのを見て、(どうしてこんなところに夢二が…)と思っていたら、お恥ずかしいことに、この榛名の地は、竹久夢二ととても縁の深いところなんですってね。今年、初めてそのことを知りました。

 

 帰りに訪れた、榛名湖。夕方には、最終のバスが出て行ってしまうから、そんなに時間がなかったのですが、その湖畔に、竹久夢二のアトリエがあると知り、わかさぎのからあげを食べに、ふらっと入った食堂で、近くだと聞いたので、10分くらい歩いて行って来ました。

 湖の周囲の道から、少し坂を上ったところにありました。



 六畳二間くらいだったでしょうか。
 そんなに広くは感じませんでしたが、一階がアトリエ。二階が簡素な部屋になっていたようです。窓からは、今でも榛名湖がよく見え、現代のお土産屋や貸しボート屋が並ぶ風景よりもなお、その前に訪れた榛名神社周辺の人との交流の中に感じられた空気の原型を、この場所に感じることが出来ました。



 そして、これはアトリエのある一階に掲げられていた竹久夢二先生の言葉です。



 榛名山美術研究所建設につき

 あらゆる事物が破壊の時期にありながら、未だ建設のプランは誰からも示されていない。吾々はもはや現代の権力闘争及政治的建設を信用し待望してはいられない。しかも吾々は生活せねばならない。快適な生活のためには、各々が最単位の自己の生活から建ててゆかねばならない。まずは衣食住から手をつけるとする。そういう吾々の生活条網を充たしてくれるために、今の所、僅かに山間が残されていた。幸い榛名山上に吾々のため若干の土地が与えられた。美術研究所をそこへ建てる所以である。

 吾々は地理的に手近な材料から、生活に即した仕事から始めようと思う。吾々の日常生活の必要と感覚は、吾々に絵画・木工・陶工・染織等々の製作を促すであろう。同様の必要と感興を持つ隣人のために、最低労銀と材料費で製作品を頒つことが出来る。或は製作品と素材とを物々交換する便利もあろう。

 そこで商業主義が作る所の流行品と粗製品の送荷を断る。また市場の移り気な顧客を強いて求めないがゆえに、吾々は自己の感覚に忠実であることも出来る。
 こういう心構えから、生活と共にある新鮮な素朴な日用品を作る隣人のために研究所を開放する。

 吾々の教師はあくまでも自然である。しかし吾々は既製品を模倣するためでなくに、先人が自然から学んだ体験をきくために、時に講演会・講習会を開く。また吾等の製作品を人々に示すために、時に展覧会を開く。
 榛名山美術研究所を設ける所以である。
   千九百三十年五月

榛名山美術研究所
     竹 久 夢 二

                                      みやま文庫 第95巻
                                         群馬と夢二より



 私は、この言葉を、心にかみ締めながら、言葉に出して読み上げてみた。

 これは、まさに今の私の気持ちと同様である。

 物質主義に汚染された人間たちの中で生きる苦しみを、我が先人もまた、このようにして苦しんでいたことに感銘を受ける。

 自らの苦しみを丸投げし、欲望をかなえるための占いならばこちらが断っても集まろうとする人たちが、自ら悩みを解決し、社会に益する人間となる私塾を開けば、蜂の子を散らすようにいなくなるこの現象に、私の心は未だ、人や社会を信じられずにいる。



 ちなみに「夢路より」を作曲したフォスターは、晩年は酒におぼれ、この曲を書いた数日後に亡くなったそうだ。世界の民謡・童謡様のページ

                                  2013.6.14. 寺千代

戻る