20、結婚できない女 @都心部から程近いある所に、一人の男性がいました。 男性は、傍目には婚期も大分遅れていましたが、仕事一筋でやってきたし、見た目も若く、今ではたくさんの部下を持ち、上司からの人望も厚い、いたって真面目な人間でした。 その男は恋をしました。 人づてに紹介された女性でした。 相手は、自分よりも年上で、田舎育ちのあまりぱっとしない女性でしたが、彼女の気遣いや心配りに好感を覚え、ふたりはやがて付き合うようになりました。 A男は、今まで何人かの女性とお付き合いをしてきましたが、どの女性も「自分にだけ何かしてくれること」を望むばかりで、男の優しさをねぎらい、男の気持ちをくんで接してくれる人はいませんでした。 男の友人は、女が自分よりもさらに年上であることを、指摘しましたが、男は気にしませんでした。 男は女と会って早い時期に結婚を意識するようになりました。 Bしかし、ただひとつどうしても気になることがありました。 女が時折目を伏せて、何か考えるような仕草をするのが気に掛かりました。 男がそのことを、女に問いかけると。 「ごめんなさい。実は…」と、自分の過去に心に受けた傷があることを、女は明かしました。 男は、それがなんなのか聞こうとしましたが、女は頑なにそれを拒むので、そのことを話にするのは、やめました。 Cそれから何ヶ月か経ちました。 女は相も変わらず、男に何かと気遣い、女のほうも結婚を意識しているかのように見えました。 男はこの女と一緒になりたいという気持ちが、日を増して強くなっていくのを自分の中で感じました。 男は言いました。 「なぁ、俺はお前と一緒になりたいと思っている。お前のその優しい心使いが、お前と生涯共に暮らしてもいいという気持ちに俺をさせるんだ。でも、なぁそのためには、後生だから、お前の心の傷がなんなのか、俺に教えてくれないだろうか?」 いつもは優しい女は、男がそう言った時にだけは、きっと顔つきが硬くなり、ただ首を横に何度も振るだけでありました。 Dそうこうしているうちに、師走に入りました。 男は、年が明けぬうちに夫婦になりたいと思っていたものですから、気持ちがあせっていました。男だって、もう若くはありません。もし、どうしてもこの女と結婚できないのであれば、それはそれなりの答えを出さなければならない。男はそう思っていました。 ある日、女から男に一枚の封筒が渡されました。 中を開けてみると、そこには汽車の切符が二枚入っていました。 「私とここへ行って欲しいんだ。あまりお金がないから、日帰りだけど。どう?」 男は女の気持ちが嬉しく思えました。もちろん、ふたつ返事でそれを受け取りました。 Eそれから、しばらく時間が経ちました。 年は、もうすぐ暮れようとしています。 (年が明けぬうちに夫婦になりたい)という気持ちをくんでか、女が自分の心の内を男に話しました。 「実は…、何度も言おうと思ってそのたんびに言えなかったんだけど、私は、あなたと出会う前、好いた男がいたの。勝手な男だった。あんたとは比べ物にならないくらい、色々なことがだらしなかった。何度も許して、何度もだまされてね。私の他に女がいたんだよ。私の親もかんかんになって怒ってね。でも…。女って嫌な生きものだよね。自分がつくづく嫌になるよ。あんなに傷つけられたはずの、あの男のことがどうしても忘れられないんだよ」 「俺のことは、どう思っているんだ」 「あなたのことは、好きだよ。夫婦になってもいいかな…とちょっとは思っている。でも…。もうちょっと待って欲しいんだよ」 そう言いながら、女は再び節目がちになって、顔を硬くするばかりでした。 Fあれから何度か男は女に会いました。 その度に、男は業を煮やしていました。 「俺のこと、好きでないんだったら、会うのを辞めにしようか?」 「ちょっと待って。好きだという気持ちはあるんだよ。でも、こんだけの時間で、あんたのことが全部分かるって、それは短すぎやしないかい?」 女はそう言いましたが、三月(みつき)という時間が、早いか長いかはきっと人それぞれなのでしょう。 何度か会っているうちに、男は女のことが色々わかりました。 自分と夫婦になることを、先に延ばそうとする理由は、その心の傷となっている男のことだけでなく、女自身の性格が内向的でまた何事も決められない性格であるということや、かつての男の後、自分が出会う前に出会った男は、その心の傷を長い時間『明かさない』ことで、怒って去ってしまったことなどです。 そして、心の傷の男とは、今、この女の住む家のすぐ近くにいるということも分かりました。 そして、あの汽車に乗って日帰りで帰ってきたあの場所は、かつて、その男と行った女の思い出の場所であったということも…。 G女に恋をした男は、それでも迷っていました。 今まで自分が会った女に比べたら、それだって良いのだと、自分の心に言い聞かせました。 H年が明けたある日のこと、男は女に言いました。 「今日は君に話がある」 「なんだろう?まさか、『夫婦にならないか』って言うんじゃないだろうね?」 「うん、どうだろうね」 (これでいいんだ。この人が決められないんだったら、俺が決めてやればいいんだ。二人して迷っていちゃだめだ。夫婦になるとは、決断することなんだ) 男は、いつになく緊張していました。今まで色々振り回されてきた、もしかしたら自分のことよりも、他の男のことで頭がいっぱいになっているかも知れない女性でしたが、それでもきっとこの申し出に喜んでくれるに違いないと思いながら、手に汗をかきながら、いつ言おうかいつ言おうかとなかなか言えないままに時間が過ぎていきました。 何気なく女の口から、あることが話題にのぼりました。 女は、いつも自分を気遣ってくれるいつもの顔で、心の傷の男ことを男に話しました。 「長い時間、私一人でずっと抱えていたけれど、私の心の傷を、こうやって聴いてくれるあんたが大好きさ」 男は、決断しました。 「ずっと迷っていた。今日、はっきりさせたいと思う。これで会うのを辞めにしよう」 「……!!」 I女性は、心の傷の痛みの上に、さらに後悔を重ねることになりました。女性は、今回のことも立ち直って、心の傷の男のことも忘れさせてくれるような、強くて優しい男性にめぐりあうことが出来るでしょうか?いいえ。私はそうは思いません。彼女は、何人の男性と出会っても結局元の男が忘れられず、結局一人で生きていくことを選ぶでしょう。 仮に、この女性を決断させられる男がいるとすれば、それは女性心理に長けている経験豊富な遊び人か占い師くらいしかいません。それが、愛であり、それが男の優しさであると思い込んでしまっている狭量さが、この女性の最大の欠点です。本当の愛とは、『惜しみなく受け入れること』です。 「帯に短し、たすきに長し」と言っているあいだに、時はどんどん過ぎ去っていきます。そこには、覚悟もなければ、受け入れる愛もありません。一生に一度会えるか会えないかの本物の運命の男に会える機会が来たら、過去は捨てて、決断出来なければいけません。そして、ダメだと思った時は、いつまでもしがみついていてはいけないのです。運命に飛び込むことの出来ない女性、そして本物を見極めることの出来ない女性は、彼女が思い描くような未来をつかむことは出来ないのです。 2013.1.8寺千代 |