人生の書

ё十戒Э

2、占いについて

 「占い師」という言葉を聞いて、皆さん何を思われるだろうか?
 占い鑑定ルームをOPENしてから、ちょうど五年。
 その間、あの細い小路を通り、古い建物の階段を上り、
ふすまと畳の静かな部屋にやって来られた方は、いったい何人になったのでしょうね。

 よく私は、「私は鏡」という言葉をお客様に言っていましたね。
「先生」とは呼ばれるけれども、決して上から目線の“落ちた人物”にはなりたくない。
かと言って、私が自信なくお客様に接していれば、お客様はいつまでも自信を持つことが出来ない。
自信って、文字通り、自分を信じるということね。
 占いのレパートリーは、自分に畳み掛けるようにしながら、技術を習得していったけれども、
実際、その占いを使ったのは、一人のお客様に対して、30%、くらいでしょうか?

 私がまだあの銀行の前で街頭占いをやっていた頃はね、実は気学一本でやっていました。
 手相も観ることは出来たけれど、独学のものであったから、気学を何よりも重視していたんです。
 でもね、不思議と僕と占いはよく当たりました。
 その頃から、よく当たるって、評判だったんです。
 逆に、占い学校で習った知識は、基礎ではあるけれども、実際お客様を鑑定する上では、死に物狂いで祈り続けてましたね。
(どうしたら、この人が幸せになれるんだろう)って。
 僕の占いは、死に物狂いで祈り続けた結果、当たっていた、としか言いようがありません。
 少し占いが判る方は、この話しを聞いて、

「よく、気学一本で街頭に立てたね」と思われるかも知れないけれども、
全然、怖くなかったですね。
人と接する怖さはありましたけれど、的確に回答する自信はありました。

 それが、何かというと現在、紫微垣で講義している内容たちです。

 先日、第1回の講義が行われて、善因善果 悪因悪果なんて話しをしましたけれど、そういった日本古来の考え方が、僕の中には自然と染み込んでいたんですね。

 数ある占いの中で、気学を選択したのにも理由があります。
 手相は、人生の縮図だし、四柱推命や西洋占星術などは、本当によく当たりますけれど、悩んでいる方に対して、解決方法がないんですね。
 「よく当たる」占いを学びたい方なら、そういう占いを学習すると、本当によく当たりますよ。でも、私は、はっきり言って、当てることなんかどうでも良かった。
 その方の、資質とかクセとかが私の感性の中で理解出来て、それがお客様と共感出来て、それに見合ったアドバイスが出来れば、もうそれでいいと思っていました。

 そして、最終的にはその方は、私の占いを離れて自立なさるんです。
 自分を知り、人を知り、世界を知り、自分がそのまま自分自身であって良いということが判れば、それを信じて生きていければ、もうそれでいいんです。
 「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」って言うでしょ。

 占いっていうのは、ひとつの法則があるから当たるんであってね、
 これをすれば運が良くなるなんていう一触即発のものはありませんよ。
 こうしていながらにして、言わば世界地図を広げて人様の動向を知ることが出来るのは、技術というよりも、古代の智恵ですね、不思議としか言いようがありませんけれど、先ほど私が申し上げたように、占いを重ねて来ると、占いを使わずとも占うことが出来るようになります。もちろん、それは絶対ではありませんけれど。絶対というと、お客様の意志や努力を無視しているでしょ?
 だから、絶対じゃないんですね。
人が、意志のない、ただ生きている有機体であるとするならば、運命は決まっているのかも知れないけれど、どちらかといえば私の占いは、運命を知り、それを外れさせるために使っていたと、そんなふうに思っているんです。

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