人生の書

17、大人になるということ



 「大きな人」と書いて大人(おとな)と読む。
 人は、如何にすれば大人になるのだろうか?

 成人の日、二十歳を迎えたお兄さんお姉さんが、一律に、
みんな大人になれるんだとしたら、これはちょっとおかしなことであると僕は思う。




 僕はいま、42歳。

 大人であるかどうか、は、ちょっと疑わしい…、と自分では思っている。

 それでも、20代、30代の頃の僕は、人が生きるということについて、一心に想い、占い師という職業を通じて、年齢や性別に関係なく、魂を発動し続けてきたつもりである。

 どんなに考えてもわからない一人の人の悩みを、
千人、二千人とアドバイスし続けてきたのだから、そういった意味で考えたならば、りっぱに大人である、と言えなくもない。



 しかし、じいちゃんの生き様死に様を見て思ったこと。

 そして、この時に、叔父叔母とようやく、この年になってはじめて、世界森羅万象について、様々な意見を交し合えたこと。
 彼らが今世で体験してきた延々たる事柄や、歴史や、時代性などなどの話を聞いていると、やはり僕などはまだまだひよっこであって、確かに子供とは呼べなくなってはいるというものの、それが果たして大人と呼べる人物になり得ているかどうかは、大いなる疑問として感じたのである。



 僕は子供のころ、大人になることが怖かった…

 それは、こんな僕が、果たしてこんなにすごい周囲の大人たちのように、あれもこれも上手く立ちまえるかどうか…とてもそんな自信がなかったからである。

 彼らの活動を見ても、
 一心に学び続ける姿勢を見ても、
とても自分がそんなところには到達できないほどの、包容力にあふれていたし、だからこそ、大人というものを尊敬していたし、安心して、その懐に抱かれながら、自分の夢だけを見続けていることが出来た…そのように思っている。

 どれほど優秀な子供であっても、家を建てるということが出来ないように、
彼らの存在は、夢のまた夢…しかし、いつかは自分もそうなるであろう、そんな雛型。お手本、そのものであった。いま、そのように思い返すことが出来るのである。



 しかし最近は、大人になるということが、えらく簡単に捉えられているように思えてならない。

 子供の頃の、夢のまた夢であったはずの一軒の家でさえも、何ものかを上手く重ね合わせて、一週間もしないうちに、今まで何もなかったその場所に、姿を現す。


-就職をして背広を着ました。-
-
-資格を取って、先生になりました。-

-テレビに出て、有名になりました。-


 違う違う違う!!

 僕が思い浮かべる大人の姿は、こういうことなんじゃない!



  かつて、綺麗な恰好して歩いているお姉さんは、本物のお嬢様でしかありませんでした。

 会社の社長さんと言えば、身も心も本当にりっぱな人でしか成り得ませんでした。


  先生と呼ばれる人は、だからこそ、本当に人から尊敬を受け得るだけのりっぱな存在であったし、僕の周りにいる大人たち、父も母も、叔父さんも、叔母さんも、本当にりっぱな人であって。
 それはその、経歴もさることながら、尊敬に値する何か光っているものを、必ず持っていたからに他なりません。


  だからこそ、僕は、自分が果たしてこういった『大人』になれるかどうか、いつも不安だったし、今こうして大人と呼ばれるその年齢になってみて思うことは、時が経つにつれ、僕よりも年下の方が年々増えていくわけですけれど、年齢がいっているからといって、年少の彼らより、果たしてすごく大人かというと、割とそうでもないのになぁと思うことです。

  それとは逆に、今までいらした占いのお客様であっても、目上であるはずの年上の方だからといって、とても尊敬出来ない、僕の少年の頃の夢を平気でぶち壊してくれるような、なんだかへんてこな大人たちだってたくさんいることはいます。


  僕はね、占い師になってから、大人になるということを、ずっとずっと考えてきました。それでようやく、その答えを知るわけです。
 大人になるということは、大きな人になることなんです。



 僕がまだ、路上で占いをしていたころ、こんなお客様がいました。

「家庭運はあまり良くないですね」
僕はそのお客さんにそう伝えると、そのお客さんは、僕にこう言いました。

「あ〜、兄ちゃんそれだけは違うな。俺、幸せだもん。本当、恵まれてるよ…」

そして、続けてこう言いました。

「あ、でも、結婚する前は、確かにあまり良くなかったかも知れない。結婚してからかもな。こうやって幸せになったのは」


 その時に僕は、こう思いました。

(この人は。自分の持っている先天運を乗り越えたんだ)と。

  そして、自分に課せられた運命を見事に乗り越えた人のことを、『大人と呼ぶ』のだということを。



  だからね、「自分の運命を占いによって知りたい」「それを生かしたい」というのは、ごもっともなんですけれど、どうせやらなければならない運命なのであれば、それから逃げずにね、不幸が幸せになるまで努力して、不幸を幸せに転換しちゃえばいいと思うんですよね。

 バブルの頃、株が上がった下がったと言って、大騒ぎしていたのと同じように、誰もが体験を重ねて大きくなっていくような目の前の幸不幸を、一喜一憂しているような方には、占いを使ってさえ欲しくないのが、本音なんですね。せっかく神様が用意してくれた、自身の御魂を鍛えるチャンスであるというのに。


2012.10.26寺千代



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