人生の書

16、パワースポットと白龍神


私は、その神社が好きだった。

神前に詣でれば、いつも安心の気がそこにはあった。

遠く、海が見える。


気まぐれに、ふいと立ち寄れば、
ほとんど人に会うこともなく、
いくらでも好きなだけ、そこにそうしていることが出来た。



占いの忙しさにかまけて、しばらく行かないうちに、その知らせを知ったのは、
当時のお客様からだった。


あるメディアに紹介されたことがきっかけとなって、その神社に独身の女性が押し寄せているという。
ほとぼりが冷めたであろう頃、二度ほどそこに行ってみたのだが、
もうすでに、かつての安らぎは感じられず、悲壮感のようなものが立ち込めていたことを、記憶している。
そんなこともあって、しばらくその神社からは足が遠のいてしまっていた。




ところが私は、ある宗教家の先生の指示によって、再びここに詣でることになった。

色々あった歳だったから、定かではないのだが、ちょうど今から一年くらい前だったように記憶している。


出掛けたのは、午後まだ早い時間だったから、こちらが特に気をつけなければならないようなことはなかった、はずである。

ところが、一の鳥居をくぐった瞬間から、境内の異様な状態にすぐに気がついた。

鳥居の外の、空気とは、まるで同じ空気とは思えないほど、密度が高く感じられ(良くないほうの)たので、すぐに身を引き締めて、自分を守る必要があった。

決して長くはない参道を行くのに、もう何度も立ち止まり、立ち止まりしながら、その度に、祓いを行っていく。
神職でもない自分が、神社の境内を祓うなんて、まるで初めてのことだった。普段は、わきまえているつもりである。だから、すごくおかしな気分だった。



やがて目の前に現れる二の鳥居をくぐった時には、さらにその密度が濃厚になっていった。

社務所の脇に置かれていた、長い棒を使って、私は人目に触れないように注意しながら、その場も祓っていった。
そこら中にわだかまっていた、「かたまり」が、その度にブッ飛んで行く。

そうやって、社に向かう階段の下に来た時、階段の脇に、一人の女の子がうつむいて座り込んでいる姿を見かけた。この世のものではない。「何か」がそのような形となって現れているのだ。

私は、さらにじっとそれを見ていると、その正体は、何段もの段差に渡ってうなだれている白龍神だということが分かった。

白龍神は、ボロボロに傷ついていた。

まるでぼろ布のように、そこに横たわっていて、まるで生気を感じることが出来なかった。たぶん、そのまま、その場で朽ちていき、解けて、腐って、風化していくのだろうと僕は思った。



そうなった原因は、すぐにわかった。

大勢の人間が、自分さえ良ければいいという、無茶な願いごとをこれでもかと、神々に投げかけたのである。

神社の眷属である白龍神は、願いを叶えるために、力を使い、黒い気にやられて傷つきながらも、さらに力を使い、ぼろぼろになっても、それを癒すものもおらず、感謝するものもおらず、ただただ与え尽くして、自分は空っぽになって、そこでそうやって、死を待っていたのである。

私は、悔しくて悔しくて、この白龍神が哀れでね、ちょうど身も心もズタズタになって鑑定を辞めた自分自身と重なって、社に行かず、階段の下で、その龍神のためだけに祈ったのね。



「この神社を、そしてご祭神を今までずっと守ってこられました白龍神様、ありがとうございます。いつも、人のために、ただただ幸せを与え続けていただき、感謝申し上げます。こちらにお参りにいらして、御神徳いただきました皆様に成り代わって、お礼申し上げます。

白龍神様、この度は、多くの人の自分さえ良ければいいという、身勝手な願いごとにも関わらず、お働きいただきまして、本当にありがとうございます。

本当は、神社というものは、困った時に願いを叶えてもらう所ではなく、何もなくとも、ただただ毎日が無事であることを、感謝申し上げるそんな場所であるはずです。

それなのに、こちらがあっという間に有名になり、パワースポットとして紹介されてから、押しかけた人間たちの、非礼による強い邪気を浴びられてしまったこと、同じ人間として、本当に申し訳なく思っております。

白龍神様、私は白龍神様がここまでボロボロになって叶えた人間が、どれだけ幸せをつかみ、どれだけ感謝のお礼参りをしたかしないか、私には分かりません。
ただ、あなた様のお姿を拝見して、私は、こちらにお参りに来る人間よりも、あなたをお救いしたいと今、思いました。
今、生きている私たちよりも、遥かに長く生きてこられ、そして世の盛衰を観て来られた、今まで一心にこちらのご祭神に仕えて来られた、その誇りを、どうぞ失わないでください。我よしのみの人間たちを、どうぞお許しください。そしてどうぞ、元気になってこれからいつまでも、この神社をお守りください」

そうやって祈っているうちに、もう溶けかかっていた龍神が、どんどんその姿を回復させていきました。
それを見ながら、さらにお祈りを続けていくと、いつの間にか階段から、龍の姿が消え、お社の上を飛行している姿を捉えることが出来ました。



私はこの時から、「人を幸せするという」言葉に、疑問を持つようになったんです。
この神社を、このようにしたきっかけを作った方にも手紙を書きました。

手紙の返事はいただけなかったけれども、それから自分でこう思ったんです。

(何か迷った時、パワースポットならずとも、人が神様に願いをかけるのは当然かも知れない)って。


だとしたら、悪いのは神職であって、人がたくさん押し寄せるようになったら、いつも以上にお勤めをしっかりと行って、神社の清涼な気と、神様ご自身をお守りしなければならないのに、彼らがやっているのは、お金儲けばかり。

お社に少し手をかけたみたいで、屋根が新しくなっていたけれど、それが果たして、本当に神様のして欲しいことなのかなって思ってしまうんです。
人の気って怖いな、人の思いって怖いなって思いました。神様がいらっしゃるにも関わらず、ここまでなってしまうんだなって。



あれから、もう一度だけその神社に行って、また少し祓いをしてね、その後はもう全然行っていませんけれど、なんだか虚しくなりますね。

前から言っているように、神仏は本当に心から敬っていただきたいんです。


そして、神仏や見えない世界を守る、神主様やお坊さん、占い師、霊能者の先生方のことも、ぜひ大切になさってください。こういった目に見えないご苦労を、されているということを、知っていただきたいと思います。
出来るだけ、自分の力で問題を解決出来るように、努力して、どうしても乗り越えられないわからないことに関しては、襟をただして、礼節を持って、それらの先生方にお尋ねいただくようにして。

先生とは名ばかりで、中には、なんの霊能力も感謝もないまがい物の方もいらっしゃいますけれど、それは皆さん自身の力で判断いただきたいと思います。何を信じ、何を学ばれるかも私は、皆さんの運のうちだと思っています。


私もあれから、何度も鑑定を再開しようと思いましたが、どうしてもやる気がしなくなってしまいました。紫微垣で、生きる上でもっとも大切な指針をこそ、いらしている方にお教えしていますけど、一般の方でどんなに困っている人がいても、観て差し上げることが出来ない。鑑定って単に技術を使って、当たる当たらないじゃないんですね。生活がどうとか、お金がどうとかでもない。心が乗らなくなってしまったんですね。


鑑定師としての私の役目はすでに終わりました。

今は、人間よりも神様のほうを助けたい。そんな気持ちです。

引き続き、ニューリーダーを募ります。


2012.10.8 寺千代



この記事は、実体験を元に書きましたが、
いかなるご質問にもお答え出来ませんので、ご了承ください。

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