不思議なお話し
塾生の方の引越しにまつわるお話し〜 その2 〜 これは、つい先日、この横須賀から東京方面にお引越しをされた方のお話しです。 Kさんとは、もう何年のお付き合いになることでしょう。 私のところに初めておいでいただいたのは、まだ占い鑑定ルームが出来る以前のことでしたから、下町の喫茶店で鑑定させていただいたことを、よく覚えております。 私が昔書いていた、so-raという名前のブログに、その時リンクを貼らさせていただいた大楠山麓の光と風のサイト様から、辿っていらした方で、ブログの読者となっていただいた後、対面鑑定のご連絡をお申し込みくださいました。 Kさんは、いわゆる悩みがあって来られた占いのお客様とは、どこか違っていらっしゃいました。 それを乗り越えていく考え方や、気力や体力も十分におありの方で。 それでいながらにして、ここ数年の私自身の出来事の節目節目には、必ず、温かい応援の言葉を下さったり、また、綺麗なお花や、本当に美味しいお菓子を、いつもさりげなく渡して、何事もなかったかのように、帰られるのですね。 そんなKさんから、夏前に引越しの鑑定を依頼されまして、本来であるならば、鑑定を辞めてしまった私ですが、観て差し上げるのが人情ですよね? それなのに、私はどうしてもお引き受けすることが出来ませんでした。 鑑定と言う言葉を聞くだけで、今でも、ぱっくりと開いた傷口に塩を擦りり込まれるように、胸がじくじくと痛むのです。 「とうとうKさんの依頼まで、おことわりしてしまった…」 今は、鑑定をまったくやっていないかと言えば、塾生の方にはご依頼があれば、観て差し上げているのです。 Kさんは、塾生でこそありませんが、紫微垣の立ち上げの際、しっかりと参加してくださったし、私の鑑定人生の中で彼女なくしては成り立たなかったくらい、大切な位置にいらした方です。 鑑定とは、人と人の心を紡いでいくお仕事。 だから、人が人を呼び、それらの人がまた、私の鑑定が必要な方との新たな縁を、紡いで下さるのです。 しばらくは、罪悪感の中で生きておりました。 もちろんそのあいだにも、私自身の修行があったり、紫微垣の講義があったり、宗教家の先生からアドバイスをいただいたりしていたのですが、どんな近しい人間から、鑑定の復活を促されても、決して、それだけは、やる気が起こりませんでした。その理由は、また別の機会にお話しすることに致しまししょう。 私ごとで申し上げれば、10月に同居していた祖父が亡くなり、それから少しして、あることがきっかけとなって、今まで爆発しそうだった精神が、ようやく静けさを取り戻しました。 Kさんの ことも、だんだん現実味を帯びてきて、もう一度こちらからご連絡してみようかという矢先に、Kさんのほうからご連絡をいただきました。 「ご無沙汰してすみません」 という題名で、私の祖父についてのお悔やみの言葉が書かれ、それに続いて、引越し先が決まった旨が書かれてありました。 「あの後、代わりにご紹介いただいた先生も、お忙しい方だと知り、私などがご相談させて頂く訳にはいかないと止めました。自分たちで粘り強くやろうと決めました。 その後も2ヶ月位何ヵ所も見て回りほとほと疲れました。
良く解らないけど何か間違ってるんだろう!?は感じました。 初詣にしか行ってなかった近くの神社にお参りし(もっと早く気が付けば良かったのに)心を伝えてお願いしました。 そしてついに今回の家に廻り合いました。
引越の日を決めるために実家にあった暦を読んだら
(読み方に間違いがなければ)私たちが探していた期間は吉方なしでした。
自覚してなくても導かれるんだ!驚きでした。(神社へはお礼にも伺いました)」(Kさんから実際にいただいたメールより)
その後、Kさんは、紫微垣の講義にお出でくださいました。 久しぶりにお会いしたKさんは、いつものようにお元気でいらっしゃいました。 不思議なお話しはここからです。 引越し先の場所をお聞きしていたら、 (あれ?)と思ったのですね。 電車の駅名をお聞きし、続いて町の名前をお聞きした時に、私はこう言いました。 「そこは、私の弟夫婦が住んでいる所なんです」 それまで、(なぜこんなに分かりもしないであろう町の様子を詳しく尋ねるのだろう)と、いぶかしげに傾いていきつつあったお顔も、さすがに驚かれた様子、そして… 「やっぱり、私は守られているのね!これで大丈夫!まるで知らない町に行くんじゃない。そう思えるの!!」 そうおっしゃって、きらきらと少女のように輝かれたんですね。 私のお客様と、住んでいる土地については、まだまだ不思議なお話しがありますが、今回は、これくらいにしておきましょう。 |