開運!クラシックミュージック


『第九』

交響曲第9番 ニ短調 作品125 
〜歓喜の歌〜
Symphony No.9 D-minor Op.125 “Choral”


ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
(ドイツ)
1770-1827




【大吉】

本当の自分自身と向き合います。
あなた自身の罪も、弱さも、ふがいなさも、
すべてを認め、すべてを許し、
“生きていこう”という活力が授かります。
気持ちを改め、新しい次元へと向かって歩き出すことが出来ます!






『交響曲第9番ニ短調作品125(英語:Symphony No.9 D-minor Op.125 “Choral”)』は、

ドイツの作曲家ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770年12月16日?-1827年3月26日)
英名(Ludwig van Beethoven)が1824年に完成させました。

彼の9つある交響曲のうち、最後の作品です。

古典派と呼ばれる音楽史の集大成を表す作品であり、また、

その後に来るべき、ロマン派を彷彿とさせる偉大な作品でもあります。

第4楽章は、合唱が伴われ、その歌詞は「歓喜に寄す」という

詩人シラーの詩がつけられています。

「歓喜の歌」とも呼ばれるこの作品は、毎年年末になると日本のあちこちで演奏され、

あらたな日本の風物詩として、すでに定着した感があります。

また、EU(ヨーロッパ欧州連合)においては、1986年から国家のような形で、


式典等行事において、「平和と自由をたたえる歌」として


「歓喜の歌」が使われています。

 




日本人に馴染みの深い第九

第九と言えば、毎年年末恒例の行事のひとつで、
実際あちこちのホールで演奏されるというイメージが強いですね。
また、デパートなどでこの曲がかかると、「あぁ年末だなぁ」という意識させられるほど、
私たちの生活に、密着した曲となってしまいました。

そもそも、第九が年末に演奏されるようになった経緯は、どんなものだったのでしょうか?



日本人の年末演奏のきっかけ

@はじめて日本で年末の演奏が始まったのは、1930年代後半(?)。
現在のNHK交響楽団の前身である、
新交響楽団の音楽総監督に就任した
ポーランド生まれの指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトックの提唱によります。

氏は、近衛秀麿の後任として日本に招請されました。
楽員に厳しいトレーニングを課し、楽団の基礎を作り上げたことで有名な人物です。
彼は「ドイツでは大晦日に第九を演奏している」ことを楽団に紹介、
自らの指揮によって演奏したことを最後に、アメリカに渡ってしまいました。


Aまた、1940年代後半には、収入の少なかった同オーケストラのメンバーの
年末年始の生活を救う手段として、年末に定例演奏をするようになり、次いで
1960年代には、全国のオーケストラで演奏されることが急激に増加しました。




第九の初演ものがたり

ここで、ヨーゼフ・ローゼンシュトックからさらに遡(さかのぼ)って、
日本で最初に第九が演奏されたものがたりをご紹介しましょう。

時は1918年、第一次世界大戦の真っ只中。
ドイツの租借地であった中国山東省青島で、
日本軍の捕虜となったドイツ兵4715名のうち約1000名は、
うずしおで有名な徳島県鳴門市大麻町(当時:板東町)
にあった板東俘虜収容所に収容されました。



鳴門は、周知のとおり潮の大変複雑な海流の地であります。
本国から、中国の地へ。そしてまた、極東にあるこの国へ。
激しい潮の流れを見ながら、この地に流れ着いた、
ドイツ兵たちの心境は、如何ほどのものであったことでしょう?

しかし、彼らをそこで待ち受けていた生活は、実に意外なものでありました。


所員たちは、彼らを人道的な精神をもって迎え入れたのです。
彼らは農園を営み、パンを焼き、ビールを飲むことさえ許されました。
近隣の住民との暖かな触れ合いは、頑なだった彼らの心にぬくもりを与えました。
彼らには日本人と同様に給料が支給され、
施設内にある日本人の経営する売店では、自由に買い物も出来ました。
(このことが、日本とドイツ両国のあらゆる分野での友好化と発展を促したとされたとされる)

『捕虜たちも祖国のために戦った人間です』

これは所長松江豊寿(まつえとよひさ)の精神でありました。
会津藩士の子として生まれ、
朝的・賊軍としての汚名を着せられた体験から、
彼には子供の頃から、敗者や弱者への寛容な人道的共感が備わっておりました。



第一次大戦終了後、板東俘虜収容所は閉鎖され、
捕虜たちは解放されましたが、ここで受けた温かい扱いを忘れずに、
「世界のどこに松江のような素晴らしい俘虜収容所長がいただろうか」
と語るほどだったそうです。

また、この板東が四国霊場の一番札所であったことも、
忘れてはいけません。
古くから他郷の人の受け入れる、おもてなしの心が、
彼らを特別視することなく、家族のように親しむ風潮が広がっていったと言います。





こうして、1918年6月1日、ドイツ人捕虜によって結成されたオーケストラによって、
日本で初めての「第九」演奏が行われました。
彼らは皆、人であることの誇りを取り戻せたこと。
また人を信じられることが、これほど心を強くすることに気がつかされたこと。
そして困難な時にこそ受けた人の温かさが、
これほど勇気と希望と感謝に満ち溢れた自分となれたこと。。

その演奏は、そしてその歌声は、まさに〜歓喜の歌〜
そのものであったに違いありません!

(このエピソードは、2006年公開された
日本映画「バルトの楽園」でも紹介された実話です。)








交響曲第9番



さて、人々に繰り返し、長らく愛されているものには、
やはりそれなりの理由がありました。

では、今度はその『第九』を実際に作曲した、
ベートーヴェンの人生を、観てみることにしましょう。


今回で、ベートーヴェンも第三回目となりました。
前回より引き続き、ベートーヴェンのその後の人生です。


ベートーヴェンは、1770年12月17日(洗礼を受けた日)生まれです。
九星:「五黄土星」 干支:「庚寅」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)

ドイツのボンに生まれる。
洗礼を受けたのは、1770年12月17日だということは分かっていますが、
生まれた日は良く分かっていません
(彼の性格判断から推測すると、私は12月16日だと思います)

祖父の代から音楽家の家系で、
祖父ルードヴィッヒはボンの宮廷楽長。
ベートーヴェンの父のヨハン(一人っ子)も、
楽師兼テノール歌手として宮廷に仕えていました。
母マリア・マグダレーナは、宮廷料理長の娘。


(以下、前回「ベートーヴェン、ピアノソナタ 第8番」の続き)



1800(30歳)  宮廷劇場で「交響曲第一番」を自らの指揮で初演
 1801(31歳)  ピアノソナタ「月光」をジュリエッタに捧げる
 1802(32歳)  「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く
 1804(34歳)  「交響曲第三番 英雄」
ナポレオンが皇帝に即位し、献呈を捨てる
 1808(38歳)  「交響曲第五番 運命」
「交響曲第六番 田園」を発表
 1812(42歳)  詩人ゲーテに会う
 1814(44歳)  歌劇「フィデリオ」大成功をおさめる
 1816(46歳)  おいのカールの後見人となる
 1824(54歳)  「交響曲第九番 合唱」
「ミサ・ソレニムス」の大成功
 1826(56歳)  カール自殺未遂
 1827(57歳)  3月26日多くの友人に看取られて死去




「第九とは、彼のライフワークである

「ただ一曲、ベートーヴェンの作品をひとつあげよ」
と言われたら、それは第九であります。

漫画家「手塚治虫」のライフワークが、火の鳥であったように、
ベートーヴェンにとって、第九は、彼の全人生の総括的作品であり、
ここかしこに、登場する曲のテーマは彼の人生のテーマそのものです。
事実、この曲の構想は30年以上にもおよびました。

一貫したテーマを持ち、それをつらぬく精神がなければ、
このような大作を実際に曲として顕すことは、到底不可能です。

しかも彼がこの曲を初演したのは、聴力を失ってからです。
不可能を可能にしてしまう彼の情熱には、ただただ驚愕する想いです。

手塚は人生の最期にベートーヴェンを描きました。
その作品『ルードウィヒ・B』は、絶筆のため未完となっています。

「歓喜に寄せて」の詩との出会い

では、「第九」到るまでのベートーヴェンの人生を追っていくことにしましょう。

ベートーヴェンが後に、「第九」のクライマックスの歌詞として引用することになる、
「歓喜に寄せて」(An die Freudeの詩とはじめて出会ったのは、
1792年。彼が22歳の時でした。

「歓喜に寄せて」は、シラーの詩作品「自由賛歌」(Hymne a la liberte 1785年)が
1803年に書き直されたものです。
シラーは幼い頃から、大変優秀な頭脳を持つ人でした。
その思想は、自由を求める不屈の精神に満ちており、
現代においても彼の書く詩は、彼の生まれた国ドイツの手本とされています。
彼の生涯は、波乱に満ちたものでしたが、
そんな彼をあたたかく迎える友人たちの、姿がそこにはありました。
そして書かれたものが、この「自由賛歌」です。

シラー:ゲーテと並ぶ、ドイツの古典主義の詩人であり思想家。
日本では、太宰治の『走れメロス』のモチーフとなった作品
『人質(die Burgschaft)』の作者として知られている。
ゲーテとは深い親交を持っており、行き来した手紙の数は千通を超えると言われている。
こうして良き友に恵まれた彼の辞世の句を、ここでご紹介しておこう。

「Immer heitrer, immer besser.(ますます快活に、そしてより良く)」


ベートーヴェンの最晩年の作品である「第九」で初めて、
この詩が登場したことをおもうとき、
この詩がいかにベートーヴェンの人生の基盤となっていたかを
伺い知ることができるのであります。



「生き方」の基盤が完成する年

人は生まれて、自分自身というものの、
大まかな実体を把握し、
おぼろげにでも、その生き方の基盤である信条を持つのは、
いくつくらいの時でありましょうか?
(私の場合、19歳の時でした)


はたしてベートーヴェン19歳の時(1789年)、
彼のこの年の運勢は、
大いなる世界への準備の時でした。

この年、ボン大学に入学した彼は、そこで、
シュナイダー教授に出会います。
シュナイダー教授は、ベートーヴェンを広く啓蒙しました。
後にベートーヴェン自身が語った「徳の学問」の教えとは、
この頃学んだものであるに、相違ありません。

※啓蒙(自分と環境とにおける合理的な関係を求めること)



ベートーヴェンの根底にあるもの

人が生きるということは、「表現」することであります。
「私」という人間を、この世で開花させるには、
「他から」の刺激がどうしても必要になって参ります。

ベートーヴェンを知る上で、最も重要なキーワードとなってくるのが、
この1789年〜1792年であると私は思います。

@シュナイダー教授(徳の学問)
これがすでにお話した、第一のキーワードである。

続いて、第二のキーワードは、
Aフランス革命

そして、第三のキーワードが、
Bナポレオンである。



フランス革命と「ナポレオン」

ベートーヴェンが、ボン大学に入学し、
シュナイダー教授の啓蒙思想に夢中になりはじめた頃、
まるでそれに合わせたかのように、啓蒙思想に触発された民衆の手で、
フランス革命が勃発しました。

フランス革命の詳しい内容は、割愛いたしますが、
その後、10年間不安定だった政局をまとめあげ、
やがて帝政を敷くことになる人物こそナポレオンです。

フランス革命は、ベートーヴェンの信条が世の中で形となって、
実在したものであったし、
ナポレオンこそは、
まさにベートーヴェンの「英雄」にふさわしい人でありました。
(後に1804年、ナポレオンがフランス皇帝に即位すると、
その頃、彼のために書いた交響曲第三番「英雄」の
一枚目にあった「ナポレオンに捧ぐ」の言葉を破り捨て、
「彼もただの男だった」と激怒したというのは有名な話です。)

フランス革命がベートーヴェンにもたらしたものは、
魂の解放と希望だけではありません。
混乱する世の中に振り回され、苦悩と不安が度重なって彼を襲いました。
それでも、彼の人生において、目前の苦悩に屈しなかった理由は、
徳の学問の教えにあったと言って良いでしょう。

そして、徳の学問の象徴たるものこそが、
彼にとって「歓喜に寄せて」だったに違いありません。



九の数字に込められた秘密

さて、第九に触れる際、
どうしても、私がお話しておかなければならないことがございます。
これはベートーヴェンが意図したものではありません。
しかし、私ども占い師が見たときに、
この数字の持つ特別な意味というものが出てくるわけです。

それは、易や気学の中で語られている九の数字の秘密なのですが、
数霊や他の占いでも、おなじような意味が出てくるかと思います。

すなわち、その九の意味するところは、
昇華、華麗、怒り、歓喜、両頭切断です。
なぜこんな相反しているかというと、
九とは、九紫火星の九であるからです。
九紫火星の火とは、火の「火」であり、太陽の「日」であります。
火は、すべてを焼き尽くす、畏れ多きその姿は、
人の心にあらば「戦い」そのものを表しますが、
私たちはこの火のお陰で文明というものも、築き上げてきたわけです。

偶然といえば、偶然ですが、
九星気学の表す数字も、九つ。
ベートーヴェンによって描かれた交響曲も九つ。

私は、この九の数をベートーヴェンの人生そのものに当てはめた時に、
彼の苦悩に満ちた人生が、何を表していたのかということを、
うかがい知ることが出来たのです。




ベートーヴェンの中にある九の数・・・。

彼の生まれの九星は五黄土星ですが、
その他にも、実は彼の観る占い上の星の中に、
九の数は、色濃く関わっています。

今まで、三回連続して、この開運クラシックミュージックでご紹介した曲を通じて、
みなさんとベートーヴェンの人生を見てきましたが、
その人生は、過激で、華麗。
火の持つ性状そのものでした。

火は、戦いを表します。

西洋占星術でも、木星の項でちょっとご説明いたしましたが、
「火星」といえば、戦いの神です。
そしてその基本的な性格というものは、決して妥協しないところにあります。
自分が良いとおもったことは、徹底して行う。
だからこそ、戦いが起きるのです。
しかし、人々は常に安定を求めますから、戦いを好むものはやがて、
孤独をおぼえます。

火は、すべてを燃やしつくします。



第九』完成の年

30年以上に渡る構想が実り、いよいよ第九の初稿が完成したのが、
1824年です。ベートーヴェン54歳。

この年の九星は、五黄土星中宮。
そう、ベートーヴェンの生まれ星も、五黄土星でしたね。
これはベートーヴェンが
脚光を浴びる年回りとなっています。

中宮とは、様々な考え方がありますが、
私の考え方はこうです。
闇から光の出ずる時。
ゼロから一への出発。
無から有へ。誕生。
ビッグバン。

まさにベートーヴェンの全人生をかけた、
テーマそのものでは、ありませんか!!


1824年5月7日。初演。第九はいよいよ日の目を見ることとなりました。
ベートーヴェンは、それまでに、何度か改訂を行っています。

指揮者は、ウムラウフ。
場所はウィーンのケルントネル門劇場にて行われました。

演奏中、ベートーヴェンも指揮台の上にいて、各楽章のテンポを指示しておりました。
そして、演奏が終わりました。

あたりはしんと静まり返っています。
(初演は失敗だ・・・)

ベートーヴェンは、うな垂れてそのまま聴衆の方を向くことができませんでした。

その姿を察した、アルト歌手のカロリーネ・ウンガーは、
ベートーヴェンの手を取り、聴衆の方に向かせました。

そこには、聴衆の割れんばかりの拍手の姿がそこにはありました。

この時、ベートーヴェンの耳は、それほど悪くなっていたのです。

聴衆の熱狂は、いつまでも収まらず、
アンコールによって2度も第2楽章が演奏されることとなりました
(3度目のアンコールを見兼ねた兵士が止めました)




ベートーヴェンの運命

人が決して妥協できないものとは、
その人のなかにある
情熱と歓喜です。
いかなるものも、彼のそれを止めることはできません。

火は近くで見れば、断ちつくし、燃やし尽くす、畏れるものですが、
遠くからみるとそれは、希望であり、命の光であり、魂の目覚めであります。

ベートーヴェンの出現以降、
世界の音楽は、大きく変貌をとげました。

開運!クラシックミュージックを書き始めた時にもお話しましたが、
クラシック音楽というものは、私たちに希望を与えてくれる存在です。
その中でも、私自身が、ピアニスト宮川久美さんの奏でたベートーヴェンの音楽を機に、
このページを作ったように、
私たちはなぜ、このベートーヴェンの音楽にこれほど惹かれるのでしょうか?

それは、彼が太陽の使者だからです。

私たち、ひとりひとりの中にある、
悩み、憤り、苦しみ、葛藤を、
彼は、すべて体験した上で、その苦しみから脱却する方法を、
彼は彼の曲を通じて、わたしたちに教えてくれました。

それが、
「昇華」です。
現代心理学の、ストレスの解決方法としても有名な言葉です。
すなわち、私たちの心の中にある自分自身の願いというものを、
芸術に託して創作活動をしてみることです。
これは、
ストレス発散のなかでも、最も高尚な解決方法と言われています。

怒りは怒りのまま、決して地に落とすことなく、
わが誇りを失うことなく、どこまでもどこまでも高みに登っていく。
すなわちこれ、歓喜となり、笑いとなり、すべての闇は消えていきます。



この曲を聴くと、こんなことが起こります。






and more・・・
をクリック!行って、戻ってきてください。一度音を消してからお聞きください)


Beethoven Symphony No.9 - Bernstein 1989 (part 1)



Beethoven Symphony No.9 - Bernstein 1989 (part 2)



Beethoven Symphony No.9 - Bernstein 1989 (part 3)



Beethoven Symphony No.9 - Bernstein 1989 (part 4)



歓喜の歌       

An die Freude 「歓喜に寄せて」
O Freunde, nicht diese Tone!
Sondern last uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.
おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか
Freude, schoner Gotterfunken,
フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン
Tochter aus Elysium
トホテル アウスエリ^-ジウム
Wir betreten feuertrunken.
ウ゛ィル ベトレーテン フォイエルトゥルケン
Himmlische, dein Heiligtum!
ヒンムリシュタイン ハイリヒトウム
歓喜よ、神々の麗しき霊感よ

天上の楽園の乙女よ

我々は火のように酔いしれて

崇高な汝(歓喜)の聖所に入る
Deine Zauber binden wieder,
ダイネ ツアウベル ビンデン ウ゛ィーデル
Was die Mode streng geteilt;
ウ゛ァステイ モウデ シュトゥレン ゲタイルト
Alle Menschen werden Bruder,
ア〜レ〜メンシェン ウ゛ェルデン ブリューデル
Wo dein sanfter Flugel weilt.
ウ゛ォーダイン ザンフテル フリューゲル ウ゛ァイルト
汝が魔力は再び結び合わせる

時流が強く切り離したものを

すべての人々は兄弟となる

汝の柔らかな翼が留まる所で
(Wem der grose Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!)
ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ
Ja, wer auch nur eine Seele
ヤーウ゛ェル アオホ ヌル アイネ ズーイレ
Sein nennt auf dem Erdenrund!
ザイン ネント アウフ デム エルデンルント
Und wer's nie gekonnt, der stehle
ウント ウ゛ェルス ニー ゲコント デルシュテーイレ
Weinend sich aus diesem Bund!
ウ゛ァイネント ズイッヒ アウス ディーゼン ブント

そうだ、地上にただ一人だけでも

心を分かち合う魂があると

言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい
(Freude trinken alle Wesen
An den Brusten der Natur;
Alle Guten, alle Bosen
Folgen ihrer Rosenspur.)
すべての被造物は
創造主の乳房から歓喜を飲み、
すべての善人とすべての悪人は
創造主の薔薇の踏み跡をたどる。
Kusse gab sie uns und Reben,
キュッセ ガップ ズィー ウンス ウント リーベン
Einen Freund, gepruft im Tod;
アイネン フロイント ゲブリューフト イーム トート
Wollust ward dem Wurm gegeben,
ウ゛ォールストバルト デム ブルム ゲ ギーベン
und der Cherub steht vor Gott.
ウントデル ケールブ シュテイート フォル ゴット

口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を

創造主は我々に与えた

快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ

智天使ケルビムは神の御前に立つ
(Froh, wie seine Sonnen fliegen

Durch des Himmels pracht'gen Plan,

Laufet, Bruder, eure Bahn,

Freudig, wie ein Held zum Siegen.)

神の計画により

太陽が喜ばしく天空を駆け巡るように

兄弟たちよ、自らの道を進め

英雄のように喜ばしく勝利を目指せ
Seid umschlungen, Millionen!
ザイト ウムシュルンゲン ミリオーネン
Diesen Kus der ganzen Welt!
ディーゼン クスデル ガンツェン ウ゛ェルト
Bruder, uber'm Sternenzelt
ブリューデル イーベルム シュテルネンツェルト
Mus ein lieber Vater wohnen.
ムス アイン リーベル ファーテル ウ゛ォーネン

抱き合おう、諸人(もろびと)よ!

この口づけを全世界に!

兄弟よ、この星空の上に

父なる神が住んでおられるに違いない
Ihr sturzt nieder, Millionen?
イール シュテイル ツト ニーデルミリオーネン
Ahnest du den Schopfer, Welt?
アーネスト ドゥーデン シュブフェル ウ゛ェルト
Such' ihn uber'm Sternenzelt!
ズーフ イン ニーベルム シュテルネンツェルト
Uber Sternen mus er wohnen.
イーベル シュテルネン ムス エル ウ゛ォーネン
諸人よ、ひざまついたか

世界よ、創造主を予感するか

星空の彼方に神を求めよ

星々の上に、神は必ず住みたもう

ドイツ語を覚えるのが苦手な方は、こちらのサイトを参考にしましょう!


交響曲第9番




2009.4.25完成


  

  
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