開運!クラシックミュージック




子供の情景より『トロイメライ』op.15-7

シューマン
(ドイツ)
1810-1856




【大吉の小吉】


どんな困難な目に遭っていても、自分を見つめなおし、
自己再発見することで、何者にも負けない生涯の宝を得、
道が開け、現実のチャンスと成功と愛が得られる。
☆ただし、『夢』のなかにとらわれれば、転じて大凶。

(ふだんは、秘密の宝箱のなかにしまっておくことをおすすめします)




『トロイメライ(Traumerei)』は、

ドイツの作曲家ロベルト・シューマン(1810年6月8日- 1856年7月29日)の作曲した

ピアノ曲集『子供の情景』(Kinderszenen)作品15の中の第7曲であり、
作品中もっとも有名な美しい曲です。

“夢を見る(トロイメライ)”の名の通り、
柔和で平和で幸福に満ちた、
シューマンの想いや個性がふんだんに込められた作品です。
 


子供の情景について

シューマンは、『子供の情景』の作曲の経緯について、
後に友人にこんな手紙を書いています。

「これは、こどものために書いた曲ではなく、
大人になった人たちの回想であり、
大人のために書かれた作品です」


トロイメライも、ゆったりとして、平易に聴こえる曲ですが、
この曲を弾きこなすことは、
ある意味、決して簡単なことではないのではないでしょうか。



トロイメライ






では、『トロイメライ』占ってみましょう。
まず、シューマンの生年月日と名前で、シューマンがどんな人だったのか?を
見てみることにしましょう。




シューマンは、1810年6月8日生まれ。九星:「一白水星」 干支:「庚午」
ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann)
ドイツ、ザクセン地方の小さな町ツヴィカウに、4男1女の末っ子として生まれました。

父親は、牧師の息子でした。
若い頃は小説家を志しますが、その後書籍出版業を営み財産家となりました。
母親は医師の娘であり、文学にも理解があり、
詩やピアノなどが好きで、何よりもその美しい声で歌を歌うことが好きな人でした。
シューマンが小学校に入る頃、
両親はピアノの鍵盤に目を輝かせながら指を探るシューマンの姿を見、
その音楽的才能をいち早く見抜きました。

シューマンは1817年(7歳)聖母大聖堂のオルガン奏者クンチュのもとへ通い始めます。
1822年(12歳)にはオラトリオ「詩篇第一五〇篇」という作品を書いています。
1928年(18歳)、ライプツィヒ大学に入学しますが、
なぜか両親の願いは音楽外の道を彼に望み、彼は迷いのすえ、法学を専攻しました。
1929年(19歳)、ハイデルベルグ大学に移りますが、
その間も、勉強は手につかず音楽家としての想いは膨らみます。
1930年(20歳)、ライプツィヒのピアニストヴィークに弟子入りし、音楽活動がスタートしました。





シューマンの、九星「一白水星」という星は、
苦労の星で、一生を通じて、忍耐と努力を伴いながら成長していくところがあります。
かと言って決して暗い性格ではなく、人の気持ちを誰よりも理解し、
優しく、思いやりがあって、社交的な部分があります。
ただし、その本質は包み隠されてしまい、理解できないところがあります。

彼の生まれた月の九星は、「四緑木星」という星であり、
誠実で、人を大切にし、自立心にすぐれ、迷いやすく、また頑固なところもある星です。



シューマンの運勢は、いたって地味な星めぐりとなっています。
また、元来、くよくよ型と申しましょうか、悩みのなかに入り込むと、
なかなか抜け出せないところがあります。
それでいながらにして、まじめにコツコツと、努力を重ねていきます。



シューマンの名前をみると、はっきり申し上げて大凶です。
本人の努力不足とは、まったく関係なく、運命に翻弄され、
板ばさみとなって苦しみます。
しかし、ここからが理解しがたいところです。
運勢は大凶でも、その性格は超プラス思考なのです。
完全な二重人格です。ありえませんし、信じられません。


結果、彼は現実が困難にあればあるほど、
彼のなかにある、夢の世界に没頭し、
周囲から見れば、どうして彼はこんなにつらいめに遭うのだろうと思っていても、
割合、その自分の置かれた境遇を客観視してしまい、
全く別の想像の世界に飛び込んでいける特別な能力を、
彼は持っているのです。


「トロイメライ」の作曲されたのは1838年、シューマンが28歳の年です。
ここにも、『迷い』の意と『完成』の意とが、入れ混じっており、
吉凶混合となり、釈然といたしません。
(ちなみに「トロイメライ(曲名)」大凶。「クララ」最大吉です)

シューマンの私生活においては、この前年、
9つ年下で、ヴィーク(師)の娘クララとの
婚約という事柄がありました。
クララはピアノの天才でした。
そんな娘と、その頃まだまだ無名であり、
しかも自分の弟子であったシューマンとの結婚には大反対し、
ヴィークは、執拗に徹底的に妨害しておりました。

実際、ふたりが裁判によって勝ち取った
結婚は、1840年でした。
実に4年に渡る長いあいだ、
シューマンは、クララに会うことも、手紙を出すことも許されない状況のなかで、
壮絶な孤独と戦い続けました。




1839年。この曲は、一流のピアニストであったクララの手によって、
はじめて公開されました。

コンサートのアンコール。突然に表れたこの美しいメロディに聴衆は心奪われました。
水を打ったような静けさのなか、皆の心のなかへなかへとどこまでも響いていきました。
(精神的な愛によって、ふたりが結ばれた年です)

この曲を贈られたクララは、シューマンに手紙でこのように書いています。
『この曲集は平和に満ち、柔和で幸福であり、あなたの将来のようです』




この曲を開運!〜のページに取り入れるために、私は、
様々なサイトをめぐり、心に響くトロイメライの音源を探し続けました。
しかし、ひとつとしてこの曲にふさわしく、納得の出来るものがありませんでした。

私は、TOPページで曲を提供してくださった、
ピアニストの宮川久美さんに相談させていただきました。
そういうことならばと、彼女はこころよく演奏を提供してくれました。
本当に感謝しております。

それは私が記憶していた、どこまでもせつなく美しかったトロイメライ
そのままのピアノの音だったことに、驚きを隠せません。



トロイメライは、きっと誰もが弾きこなせる曲ではないのです。
どんな境遇にあったとしても、決して夢を忘れない、
あの時の自分との約束を、忘れない。決して馬鹿にしない。
そして、愛と勇気と正義を貫いたものだけが感応することの出来る、そんな曲なのです。





また、YOUTUBEからの映像は、ホロヴィッツによる、
ホワイトハウスでの演奏です。
まるで、魂の奥底に落とし忘れてきた、大切な何かを、
このピアノは拾い上げてくれるような気がして、
彼の演奏は、静かななかにもなにか強い意志の力を感じます。
(宮川久美さんは、ホロヴィッツさんの孫弟子さんなのですって!)



人は、運の良い時だけが、その人のすばらしい人生ではありません。
逆境に至ったときこそ、『その時、どう生きるか?』
これが、シューマンを占って得た、もっとも強く出てきた、彼からのメッセージです。



この曲を聴くと、こんなことが起こります。







and more・・・
をクリック!行って、戻ってきてください。一度音を消してからお聞きください)


HOROWITZ AT THE WHITE HOUSE Pt.9/10 Traumerei, Polka de W.R.



トロイメライ


そして・・・

シューマンとクララの結婚には、障害がつきまといました。
しかし、その障害から、シューマンは逃げることをせず、また、
幾多の困難をのりこえ、ふたりは見事、結ばれることとなりました。

実は、シューマンの父アウグスト、がシューマンの母ヨハンナと結婚するときにも、
似たような境遇があったことを、ここでお話しておきたいと思います。
ヨハンナに恋をしたアウグストは、前述したように、小説家を志望し、
書店の仕事そっちのけで読書に耽っていたそうですが、
ヨハンナの父が結婚の条件として高収入を希望したため、
一年に八冊の本を書き、その収入で小さな薬局を開いた経緯がありました。

シューマン家、二代に渡る、不思議な一致です。