言行一致
〜言ってることとやってることが違う人のこと〜


言行一致
という言葉がある。

今まで、私が目にした本の中に何度も出てきた言葉だったが、
いまひとつ
意味が分からなかった。
どうもこの言葉を体で実感するには、
己ばかり見ていても理解出来ない類のもののようである。


私は、先日いらしたお客様と話していて、しばらく経ってから、
言行一致が成っていないとはこういうことを言うのだ
と知ることが出来た。



「泣きばばあ」という話しがある。

あるところにいつも泣いてばかりいるおばあさんがいた。
ある若者が理由をたずねてみると、
おばあさんには嫁に出した二人の娘がいる。

ひとりは、
傘屋に嫁いだ娘。そしてもう一人は屋根屋に嫁いだ娘である。

おばあさんは、娘のことを思うあまりに、
晴れの日は傘が売れないだろうことを嘆き、
雨の日は屋根屋の仕事が出来ないであろうことを嘆いていたお陰で、
四六時中泣かざるをえなかったのである。

他人から見れば、
馬鹿みたいな話である。
ところがおばあさんは、真剣なのである。


若者は言った。

それなら
晴れの日には屋根屋に嫁いだ娘のことを、
雨の日には傘屋に嫁いだ娘のことを思ってやればいい。
そうして、おばあさんは毎日を笑顔で暮らしたということだ。


おばあさんが真剣だというのは、自分が娘を思うことは
善行だと思っていることである。
ところが、本当の善行というものは、
誰かが苦しんだり犠牲になって、無理に力ずくで何かをすることではない。
(しかも考えているだけ、悩んでいるだけはもっと良くない)



無為自然


すべては、あるがままがもっとも正しいのである。






先日のお客さんは、そんな
どうしようもないことを占いにたずねてきた。
自分が勝手に片思いして、うまくいくかどうかと聴くのである。


縁はあるようだから、大事にしてくださいというと、気に入らない。
相手がどう思っているか知りたいのだという。


今は、好きでも嫌いでもないというと気に入らない。
実際、まだ
何も始まっていないし、始めようともしないのである。


私はベートーヴェンが、想いを告白しないために、
片思いのまま悶絶した話しをした。
女性からのアプローチの仕方もお教えした。
あくまで、自分の想いは純粋なのだとその方はいう。


ところが時間が経つにつれて、
いったいこの方の想いの、
どこが純粋なのだろうかという言葉が羅列されていく。


それでも、自分の想いがいかに純粋で一生懸命であるかを、
陶酔したようにその方は説く。



私の占いは、
接霊であり、救済である。

救済とは、その方自身が、自分で気がついて、
自分の足で歩いていけるようになることだ。

悩みとは心の病である。

病めるものは、皆自分勝手だ。自分のことしか考えない。



悩むこと自体、私自身嫌いではない。大いに悩めば良いと思う。

それは、
一生懸命で真剣になれるからである。

自分で歩こうとするからである。


占い師がその方の人生に与えられるのは
ヒントだけである。


思えばすべては、人生のヒントである。

恋もそう、結婚もそう、人間関係も、病もそう、
すべてその人に足りないものが、現象として周囲に現われている。

それが苦しいからと言って、占いは楽をする道具ではない。

それを占いに求めるのであれば、
人生など考えない適当なことをいう占い師のところにいくか、

ご自身でコインを投げて良いとか悪いとか


自分の頭のなか
で勝手に喜んでいればいいと思う。


この方が、もっともなんとかしなければならない悩みの本質は、
ご自身の

あふれんばかりの性欲をどう収めていくか
である。

どうしても言う気にはなれなかった。。
言っても無駄だと思った。
そうと気付いた時、真剣に話していた分、こちらもがっくりと来た。

いまだに気が晴れない・・・。



言行一致とは、成功するも失敗するも、

全部自分で責任を取る
のだという、
人生の境地に立った人のことである。

そうなれば、何をやってもまずはぶれない。


占いは、どんな境地の方にも、一応は応えてくれる。
しかし、
人生の後押しは出来るが、
何も決まっていないものを前から引っ張るわけにはいかない。


商売と考えれば、いらっしゃるお客様に物言いなどご法度なのかも知れないが、
あいにく、こと占いに関しては商売っけのない人間である。

もう一度
ご自身を見つめなおして、ご自身でなんとかしていただきたい。

いい大人がみっともない。


恥を知って欲しい。


                                                          男と女
寺千代
2009/12/11


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