私の夢 あなたの願い
人間関係で悩んだときに〜

誰もが、を持っている。

こうありたいという、自分の
正義理想を持っている。

その夢や理想が、できれば大切なあの人やまた周囲のさまざまな人たちと
おなじでありたいと、人はいつも願っている。

しかしそうであることは、これ稀であり、人は
小宇宙と呼ばれるがごとく、
みなそれぞれの生き方、考え方、大切なものの順番、気性等全部が違うから、
だから人はみな、人と人の
共通項を見出そうとし、乗り遅れないようにとし、知ろうとし、
相手を憎み、自分を責めてみる・・・。


親と子。恋人たち。友情。新しい仲間たち。先生と生徒。みんなそうである。

【私】がこうありたい、もしくは、誰かにこうして欲しいと想うのとおなじように、
その【誰か】も私に、こうして欲しい、このように想って欲しいという欲求が存在している。



こんなとき、もしあなたならば、「私」と「誰か」どちらを優先させるだろうか?
「私」を優先させれば、「私」は
満足がいくけれど、「誰か」をきっと怒らしてしまうだろう。

「誰か」を優先させれば「誰か」の笑顔は見れるけれど、「私」の人生は「私」の納得のいかない
ものになる可能性が高い。これが
妥協である。

この妥協は、良いものであろうか?悪いものであろうか?



私が、占いの館にいたとき、ひとりのこんな女性のお客様が、
隣の先生のブースでわめいていらしたのを、聞いていた。
「結婚は、人生の墓場!結婚は、妥協のかたまり!」
(ふ〜ん。そうなのかなぁ・・)とは想っていたが、それから色々な方と会う機会があって
(うん、そうかも知れない)と思うようになった。

「妥協」を辞書でひくと、ほとんど「協調」という言葉と同義語であることに気がつく。
結局「妥協」出来ない人は、協調性に欠ける人なのだという結論に達したわけである。

ほとんどのことは、ある程度の妥協を強いられる。
妥協するとは、
我慢するということである。
100%ではなくっても、ほんの何%でも良い。それが、人間関係ということである。
そして、その我慢が私たちを鍛え、器を大きくしていく。

ところが、絶対にひけないことがらもある。
妥協してはいけないことがある。
あきらめてはいけないこともある。
命にかかわること。自分の人生のなかで重大なことならば、いかに人に嫌われようが
絶対に妥協などしてはいけない。
(その時、ひとは戦うのであろうか?別れを切り出すのだろうか?)

妥協ということは、それを飲んだという責任がある。
誰も、飲んだことについてのその後の責任は、とってくれはしない。
すべて自分の努力で、その妥協のぶん努力しなければならないのだ。

いまの人が、妥協を嫌うことはこういった仕組みがあるからではないだろうか?
そういえば、我慢の出来ない人間が増えた。

個人のこういった駆け引きが、妥協することは人生の負け組みといったような、昨今、
人々は決まりごとを作り、この
個人の感情と、社会の均衛をなんとか取り持とうと考えた。
しかしこのやり方はかえって社会の信用をなくし、法の隙をつくり、悪が蔓延する方策であると、
昔の書物はそう教えているのである。


ならばどうするか?


日本には、昔から
「満場一致」という言葉がある。
今の多数決とは違い。なんとなく、そんな流れになって、反対するものも途中まではいるが、
決まったあとにまでぐじゅぐじゅ言うようであれば、その人は本当に嫌われてしまうのである。
見事な
平和解決である。
しかしこれを本当に成功させるには、徳のあるリーダーが必要である。
徳のあるリーダーとは、「力」もさることながら、いま、ここに本当に必要なものは何かを
決断できる人物のことである。

リーダー不在が説かれて久しいが、私たちはもはや、そんなリーダーの出現を
待ちぼうけていてはいけない。
少しでも実力のある人間は、覚悟をもってリーダーとなっていかなければならないのである。

そして、もっとたいせつなことは、ひとりひとりが、その自覚を持ち、
「いま、本当に何が必要なのか?」をたえず考察するべきである。

子として、親として、男として、女として、実にそれぞれの立場として、
「いま、為さねばならないこと」を真剣に考えてみることが必要である。



「大義に生きる」ことを、最高の徳とした武士たちの記憶を、遡って見て触れてみることで、
実に清清しいものを感じるのは、
そこに「いまを生きる」という精神が脈々と息づいているからだ。

いま一度、【こうありたいと】いう願いが、
にあるのか、頭上にあるのかを、確認していただきたい。

それから、嫌われることを覚悟で、我(われ)を貫くもよし、
後に降りかかるであろう災難を甘んじて受けとめて、仕えるのもよし。







                                                                         人間関係

寺千代
2008/4/13

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