“明るい人間”と“暗い人間”は、果たしてどちらが尊いのであろうか?


こんなことを考えていた。

人をより多く救える人間は、はたして、


明るい人間であろうか?

暗い人間であろうか?


明るいとは、ものごとにこだわらないということである。
忘れ上手ということである。
くよくよせずに、いつも前向きであるということである。
その人がいると、
まわりが自然と笑顔になっていくということである。

暗いとは、それだけ真剣ということである。
なにごとにも真面目に取り組むということである。
軽薄でないということである。
ごまかすことをしないということである。
あきらめずに深くものごとを、追求するということである。


明るさは人に希望を与えるが、
闇にたたずむものは、その笑顔にさえ憎しみと憤りを感じ得る。

暗さは同調を善しとするが、
特殊であり、狭義であり、一般には理解を得られない欠点がある。
また、同じと思っていたのに、まさか似て非なるものと知った時、
人はさらにあらたなる闇を求めなければならない。


明るさは、有限である。
暗さは、無限である。

明るさは、はじまりを表わし、
暗さは、終わりを見つめるものである。


両者は、絶えず対岸に位置している。
互いに憧れるものでもなければ、
互いに非難するべき種のものでもない。


人をより多く救える人間は、明暗の幅が広い人間である。
時を経、人に喜び、人に苦しみ、想い、歩いてきた分しか、
人は、真にその心を開くことをしようとはしない。

己の知らぬ世界と出会った時、
それを“知らぬ”と言って切り捨てるものは、
人ばかりか、己を真に救うことの出来ぬ幅の狭い人間だ。

己の知らぬ世界と出会った時、
そのすべてを分かろうとして、
自らを失い損ねるものは、未だ己を知らぬ芯の出来ていない人間だ。


どこまで行っても、俺は俺。

街なかの夜空には、星かずが消え失せたとしても、
人家なき、われ一人たたずむこの広大な地には、
満天の星が永遠普遍に輝き続ける。


まだ見ぬ星を知るものよ。
その星の輝きを吟ぜよ。

都会の光のなか、星を失った者たちよ、
瞳を閉じ、汝、眼海(まなかい)の中に星を見出せ。


                        






                                                          自信が持てない
寺千代
2007/9/1

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