女の苦しみ


あえて、このタブーの議題に挑戦してみたいと思います。

いま、鑑定にいらっしゃる多くの割合の方が女性でいらっしゃるからです。


女性には、女性であるがゆえの悩みというものがあります。

これには、私は大きくふたつの事柄が関わっていると思います。

ひとつめは、女性としての身体を持っていること。
ふたつめは、女性であることの思い込みと勘違いです。


これを読んでいる女性のみなさんは、
「女性が弱く、やさしいものである」と書けば、
たぶんふっとお笑いになることでしょう。

そう思っているのは、男性だけであり、
また、これを読んでいる男性は、
女性は、実は強くたくましいものである
などと言えば、とうてい簡単には信じられないかも知れません。
女性と接する機会が少ない、
若い人ほどそう思うことでしょう。

もちろん、
腕力では、圧倒的に男性のほうが強い方が、
絶対数として存在します。
私が言う女性の強さというものは、
一言で言うと、
生存欲です。

お腹に子供を宿す役割を担った“女性”は、
本能的に、
男性よりも長く生きることが出来るようになっています。
平均寿命も長いですし、筋肉組織よりも皮下脂肪が発達するわけも、
その身体を維持し、子供を育て、
生き続けることを、義務付けられた性であるからです。

どんな偉大なる人でも母の胎内を経て、生まれてきます。

男性が、一生かかっても決して出来ない、
人を誕生させるという行為を、
女性は、誰もが行うことの出来る
神性を持ちえているのです。

大脳生理学の
大島清教授は、
その著書の中で、こう記しています。
「女性も男性も、母親の胎内に宿ったばかりの頃は、
すべてが女性である。
男性は、成長過程において
アンドロゲンという
男性ホルモンのシャワーを浴び、
いわば強制的に男に変えさせられる。
女性は、ずっと女性なのである。
そして女性として誕生する。

それであるからして、女性は
生にしたたかである」と。


女性学が発達してきたのは、
まだ最近のことです。
それまでは、歴史のなかにおいても、
女性は虐げられ、差別されてきた歴史がありますから、
よく分からなかったことがたくさんありました。

現在では、社会の原動力、経済の社会においても、
女性の力なくしては、やっていくことはできません。
完全男性社会という姿勢から、
男性と女性の協同社会という変換は、
すっかり定着したのではないでしょうか?


さて、ここでふたつめの女性であることの思い込みと勘違いについてお話します。

私が中学生の時、男女平等社会という議題が持たれ、
学年の中で、先生が主体となって討論が設けられたことがあります。

時が経ち、男女平等雇用機会均等法が定められました。

私は、あの頃(中学生の頃)先生方が熱く語っている、
男女平等について、
本能的に、それは間違いであると思いました。
いま、こうして大人になった今でも、あの男女平等雇用機会均等法は、
間違いだと思っております。

これは、一部の女性には大変有効な法律です。
ひとことで申し上げると、男性性を強く持った女性です。

しかし、ほとんどの女性は、
生きることにしたたかではありますけど、
争いを好まず、平和主義で、周期的な生理があり、感覚的で、
感情的で、子供を慈しみ育てる母性本能が内在し、
また、恋においても、全身全霊で好きな人に夢中になる気質がありますから、
対外的、攻撃的、集中的、統率欲等のはたらく、社会においては、
合わないと申し上げたいと思います。

結婚して、家事の分担などにおいても、
先人の言葉を素直に咀嚼してみれば、
女性は、家事が得意なように出来ている。
男性は、やりたくても不得手である。

という言葉に、感情論でなしに要約できると思うのです。

男子厨房に立たずなどという言葉は、
何も男たるもの自分で飯なんか作るんじゃないという意味じゃあなくって、
「ちょっと!うろうろしていると邪魔だから、あっち行ってTVでも見ててくれる!」
という、女性側の領域に障りあるゆえとも言えるのではないでしょうか?

中学生だった私は、
まさか、こんな屁理屈を並べ立てて、同級生たちを撃退したりしてはいませんが(笑)、
本能的に、女性は家事と仕事と両方やるはめになり、
平等といいながら、実は女性の負担がかえって増えるのではないか
と、
思っていたんですね(未来がやってきて、みなさんの現状はいかがですか?)。

鑑定ルームにいらっしゃる女性を見ていても、
私は、出来れば女性が働かずに、
家をしっかり守ってくれる時代に戻ればいいと思っています。
もちろん、働きたい女性は働けばいい。
それなのに、現在は働かなければならない時代になっていますよね。

女性が働くことは、私が知る限り、
お金のためです。
男性が働く理由は、
イコールそれが生きるということなのです。
ここに違いがあります。

女性の恋愛も、女性が働くことによって複雑になりました。
いまや、女性でも浮気をするし、男遊びをするし、二股かけるし、
女性が、潔白で清潔でおしとやかで、何よりも神秘的であるというイメージは
過去のものとなりました(ちなみに姫とは、“秘め”を意味しています)。
どんなにお化粧に時間をかけ、服に気を使ってみたところで、
OPENにしてしまった女性は、やはり姫ではありません。ではなんでしょうね?
(同志?)
そういった意味では、なるほど男女平等と言えるのかも知れません。


仏教には、三毒という言葉があります。

この教えは、特に女性が気をつけなければいけない教えなのだそうです。

三毒とは、具体的に人の苦しみの根本とされる三つの煩悩のことです。
すなわち、貪(とん)瞋(じん)癡(ち)です。

貪(とん):貪欲なこと。足る心を知らず、むさぼり求めること。          
瞋(じん):気に入らないと感情的になって怒ること。               
  癡(ち):愚痴をこぼすこと。真理を知らぬ、無知の心。              

私が考えるふたつめの勘違いとは、
女性は、男性に守ってもらえるもの、
許してもらえるもの、
甘えさせてもらえるもの、
甘やかしてもらえるもの、
と思い込んでいる勘違いです。

これを求めてしまったら、平等とは言えないのではないでしょうか?

昔の女性は、社会的には虐げられてきたと書きましたが、
家庭の中においては、圧倒的な存在感がありました。
形の上では、男性をたててはいましたが、
それゆえに、男性も、女性を養っていく義務と責任があったのです。
だからこそ、「あなたを必ず幸せにする」というプロポーズの言葉がなりたっていました。
女性もそれで、大方満足でしたし、
何よりも、角隠しで覆われて顔さえ分からない結婚を行ったところで、
どんな女性でもとりあえず結婚はできたわけです(otto‥)。

ところが、社会の仕組みが大きく変わりました。

経済のみで言うならば、女性が男性の収入をうわまわることはざらにあります。
男性並みに恋をします。
外に男をつくることもあるでしょう。
ただこれだけ、平等でありながら、
身体という本質本能を持っていますから、
女性の精神の内部では、混乱をおこすわけです。

守って欲しい、
許して欲しい、
甘えさせて欲しい、
けれど、すでに男性にはその力が奪われている。

女性の苦しみは、女性が自ら選択した道のような気がするのです。
お金だけにはしってはいけません。

易をやっているとよく分かりますが、
やはり多くの男女は、
男が率いて、
女が順うといった公式が、自然なのです。
 

天なる父よ、母なる大地よ」と祈ります。

天は、すべてをあたえ、
すべてを奪います。
孤独ですし、止まることは許されませんし、責任もありますが、
やりがいを喜びとすることが出来ます。

地は、育み、慈しみ、耐え、しのび、
ゆとりを持って受け入れる。
慈愛を持って生き続けることが役目です。役割です。


身体の誘惑を振り切って、男として生きるか?
すべてをゆだねて女として生きるか?

女性は、この二つの選択肢を迫られているような気がします。



寺千代


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