「自信のない人って、私、好きなのよね」
僕よりちょっと年上の、知り合いの女性はそう言いました。
「自信がない!」と言いながら、
一生懸命に頑張っている姿は、
とても素敵に思えるし、信用できる人なんだそうです。
そういえば、僕も、
同い年で同性の芝居なかまに、
「お前が、舞台に出るまでに、どうしようかって、
いつも頭抱えて、必死になって、悩んで悩んで、
それで舞台に出て行く姿、セクシーだぜ!」
って言ったら、
すっごい喜んでいたのを覚えています。
「舞台に出る」というのはね、
いわば、
恥をかきに行くことなんです。
もちろん、プロ中のプロになれば、
自信たっぷりにお客さんを魅了することも出来るでしょう。
でも、そんな大プロにしたって、
幾千もの舞台を経験して、
嫌というほど恥をかきまくってきたのに、
違いないんですね。
また、ベテランの役者さんに限って、
「舞台に出る時は、毎回緊張する。
それは心地よい緊張だ。
この緊張が無くなったら、もう終わり」
と言います。
それで、話は戻るんですけど、
じゃあ、あなたはどうなの?
って聞いたら、
もうまったく自信がない!って。
この女性は、役者さんではなくって、
ミュージシャンですが、
生徒さんもたくさんいらっしゃるし、
ご自身でもずっと歌っていらっしゃる。
人に曲を提供することもあれば、
プロデュースも手がけている。
学生の頃からずっと音楽をやってきて、
いまもずっと音楽を生業として活躍されている。
だから、自信がないって聞いた時にびっくり!しました。
でもね、僕は占い師。
すぐに分かったんですね。
自信がない方は、
自分の目指しているハードルが高い方です。
やってもやっても、何か足りない気がするんです。
反対に自信たっぷりの方は、
あまり周囲をかえりみませんね。
すべて我よし!の世界、
強引倶舞上意(ゴーイングマイウエイ)←ちょっと強引カナ・・・(^_^.)
当然周囲とはぶつかりますが、
本人はいたってへっちゃらです。
(ただし、約束は守りますm(_ _)m)
僕は!と言いますと、
もう自信がないの極めつけですね。
不安で、心配で、本当にいつ許されるんだろう?という感じです。
果たしてこの占いで本当に合っているのだろうか?
お客さんは、怒ってはいないだろうか?
ちょっとした言葉のミスで傷つけてしまいやしないだろうか?
毎回、毎回、緊張のしっぱなしです。
世の中には、
自信たっぷりに仕事をこなしている方がいますが、
僕はどうしたらあんなに自信がもてるのだろう?と、
ほんとうに不思議に思ってしまいます。
先ほどの女性の知人で、
ダンサーの女性がいらっしゃいますが、
その方なんか本当にいつも自信たっぷりに、
華麗で見事なご自身のダンスも、
激を飛ばしながらの生徒さんのレッスンも、
なさっているのですが、
「彼女だってたぶん自信がないのよ。
それを隠したいから、ああして自信があるふりをしているの」
そんなふうに聞いて、そんなふうに思ったことがなかったから、驚きでした。
もしかしたら、世の人々は、
みんな自信があるふりをしているのでしょうか?
・・・いや。違いますねぇ(-_-)
自信たっぷりな人は、確かに存在しますからね。
「自信を持つ」
ということは、悪いことではありません。
自信は、イコール自立であると、
僕は信じています。
寺千代語録の中にある、
「救い」とは、
自立をさしているのですからね、
「自信をもてる」
ことは大いに結構なことです。
自分を信じるとは、
いったいなんでしょうね?
たぶんね、
ほんとうにたぶん、
こういうことなんだと思うんです。
人は、単体では生きてはいけないんです。
人はみな、他の何かと関わって生きていくことが必要なんです。
人のみならず、
自然や環境や時間や、
そうですね、
自分自身の心や身体も、
他のなにかのひとつでしょうね。
自分自身とは、
“分”は性質、
“身”は身体を意味しますから、
もうそのまんま心と身体のことです。
それでも、自由自在にならないのが、
自分自身ですね。
きっと自分であって、自分ではないのですね。
昔、ある宗教家の人と話している時に、
ぱっとあることを思ったんですね。
「宇宙とは、自分とは、これは同じものなんだ。
人を救うのも、自分を救うのも、
これはまったく一緒なんだ」
とね。
僕なんか、本当に自分に自信がなくって、
ある時に僕の手相の先生に鑑定していただいた時に、
「あなたは人の1.5倍やってやっと普通だね。
やってもやっても物足りないでしょ?」
と言われたので、
「はい、おっしゃるとおりです」
と申し上げたら、
「過去に相当、相当勉強したな・・・」
と言われました。
私は勉強嫌いで、過去にはそんな経験がありませんので、
「それは前世ですか?」
と聞くと、
「はい」
と言われました。
占いの道は本当に奥が深くって、
当たったから、どう、とか、
お客さんが喜んだから、どう、ではありません。
その方が、本当に、何をこの世になさりにいらしたのか?
そんなところまで、知ることが出来るのならば、
悩みは悩みでなくなると思うんです。
怒られたほうがいい人もいます。
癒されたほうがいい人もいます。
それは人によって違います。
でも、本当のところはわかりません。
僕には、まだ、そこまでの力というものはありませんm(_ _)m
もうひとつ。
言霊で分解すると、
自信は、“自芯”につながります。
芯とは、ずばり神様ですね。
これは、何々教の神様ではなくって、
自分の中にいる、
あなたの中にいる神様のことです。
そのかけがえのない神様を、
決して、決して粗末にしてはいけません。
いつも感謝してください。
いつも自分と照らし合わせて毎日少しづつ反省してください。
感謝とは、誰のためでもない、
自分のためにすることです。
「ありがとう」という言葉は、
相手を認め、
ひいては私自身を認める魔法の言葉です。
「おかげさま」って言いますよね。
「お陰様」なんですね。
人はパンのみに生きるにあらず
とキリスト様も言っておられますが、
私たちはやはり生かされている存在なんですね。
生きることに遠慮はいりませんが、
不平や不満や悪口は、
あなた自身の顔をつくっていきますから、
生きれば生きるほど美人になりたいと思う方は、
人も自分も、生きることを許されるような、
温かで、心地よい周囲との関係を、
形作っていきましょうね!